相撲界に入門してから、わずか20場所というスピード出世で三役に昇進した貴景勝!
若手ホープとして、常に期待が寄せられていますね。
丸い体と愛らしいお顔立ちは、武者人形を思わせるような風情をかもしだしています!
何となく品格があるようなその雰囲気は、子供時代を兵庫県の芦屋市で過ごしたからでしょうか?笑
そんな貴景勝を育てた、お父さんとお母さんはどんな方なのでしょうか?
相撲の道を、お父さんと二人三脚で歩んできた子供時代を振り返ってみますね!
今回は、そんなお話しをしていきたいと思います!
貴景勝の実家は芦屋のお金持ちでお坊ちゃま?
幕内力士として活躍している貴景勝!
どんな方なんでしょうか?
まずは簡単なプロフィールをご紹介しますね!
【プロフィール】
- 四股名:貴景勝 光信(たかけいしょう・みつのぶ)
- 本 名:佐藤 貴信(さとう・たかのぶ)
- 生年月日:平成8年8月5日(22才)
- 出身地:兵庫県芦屋市
- 身 長:175㎝
- 体 重:170㎏
- 所属部屋:千賀ノ浦部屋
(平成31年1月現在)
貴景勝のご実家は兵庫県芦屋市で、貴信少年が生まれたのも同じく芦屋です!
芦屋市といえば国内でも屈指の高級住宅街として有名なところですよね!
芦屋市には多くの著名人が住んでいます。
丸紅の創業者、ダイエーの創業者、三洋電機の元会長など経済界の大物も多いですし、作家の谷崎潤一郎さんや、ファッションデザイナーのコシノジュンコさん、歌舞伎役者の阪東妻三郎さんなどもお住まいの場所なんですよ。
芦屋市の中には六麓荘町(ろくろくそうちょう)という更に超高級エリアもあり、1区画400㎡以上で戸建てのみしか建てられないという条例のある、”東洋一の別荘地”と言われている地域もある、そんな街なんです!
芦屋育ちの貴景勝はお坊ちゃまだったんでしょうか?
貴景勝本人は以前、「芦屋と言っても、色々ありますから」と笑っていました。
でも、貴景勝が子供の頃、毎日自宅でお父さんと相撲の稽古をしてた頃の話しをしていた時に、「自宅の離れに20mくらいの廊下があって、そこでぶつかり稽古をしていたんですけど…」
と、さらっと言っていたのですが、ぶつかり稽古の出来る20mの廊下がある自宅って凄くないですか?
間違いなく大きなお宅ですよね!
余談ですが、横綱の稀勢の里は幼少の頃から茨城県に住んでいましたが、生まれたのは芦屋で、2人が生まれた病院は同じなんだとか。笑
貴景勝は「嬉しいですね。横綱と同じ病院で!」と話していました。
貴景勝の父親の職業や美人と噂の母親はどんな人?貴信少年の名前の由来がすごい!
貴景勝のお父さんは、佐藤一哉さん(57才)で、お母さんは、佐藤純子さん(51才)。(平成30年11月現在)
貴景勝の貴信少年は、このお二人の長男として生まれました!
一人っ子なんですよ!
【本名:佐藤貴信(さとう・たかのぶ)名前の由来】
- お父さんが大関・貴ノ花と横綱・貴乃花の大ファンだったことから「貴」
- 戦国武将のように強く立派な男になって欲しいという願いから、武田信玄・上杉謙信・織田信長の一字から「信」
この2つの文字を合わせて「貴信」と名付けられました!
お父さんの一哉さんは、自営業をされているということで、貴景勝の話しでは、不動産業、カラオケ、最近では保育園の経営もされたりしているそうです。
バリバリの経営者さんです!
空手をされているので、ガッチリとした体格の方ですね!
お母さんの純子さんは、専業主婦のようですね。
一度、貴景勝が初土俵の時(平成26年9月)に、国技館に応援に来ていた純子さんをお見かけしたことがあるのですが、スラッとした背の高い細面の、とても品のある美人!という印象でしたよ!
最初のお写真は、まだ貴景勝が赤ちゃんの時の頃のものですが、約20年経っても、雰囲気は変わっていない感じでした!
このご夫婦2ショットの写真は、平成28年3月場所で貴景勝が幕下優勝をした時のものですが、お母さんの純子さん、本当にすごく綺麗な方ですよね~!
女優の松坂慶子さんに似ているような感じがしますね!
貴景勝は、お父さん似ですよね!
子供の頃から父と一緒に稽古を頑張る息子を、食事や精神面のフォローをし続けたというお母さんの純子さん。
サポートをしながらも、頭からぶつかる競技である相撲の道に進むことは心配で、本当は最後まで反対していたそうですが、いざ入門した時には腹をくくったそうです。
父と二人三脚、子供の頃から相撲漬け!
赤ちゃんの時の写真ですが、まん丸でホントに可愛いですね!
でも雰囲気は今も変わっていないような気もします。笑
子供の頃の貴信少年は、やんちゃでいつも動き回っている子だったそうですが、性格はとても素直で優しい子だったとお父さんが話しておられました。
お父さんの一哉さんは極真空手をやっていて、指導者でもありましたので、貴信少年も、その極真空手の道場に5才の時から週に3回程通って熱心に稽古してたそうです。
向かうところ敵なしの強さだったのですが、小学3年の時に出場した、グランドチャンピオン大会の決勝で、完全に優勢だった試合を判定負けにされたという出来事があったそうなんです!
このことをきっかけに、お父さんは「極真空手はやめよう!判定の無い格闘技をやろう!」と決め、選んだスポーツが相撲だったというのが、貴信少年の相撲との出会いでした!
貴信少年の運命を決めた貴乃花親方との出会い!
小学校3年の時に、打ち込むものを空手から相撲に変えた貴信少年には、相撲に関しては全くの素人だったお父さんが、四股の踏み方や稽古の仕方などを、独学で勉強し、毎日、貴信少年と猛練習をしていたそうなのです。
お父さんは、以前から横綱の貴乃花の大ファンだったこともあり、貴信少年が小学4年生の時に、親子で夏休みに東京に出向き、貴乃花部屋キッズクラブの相撲教室に参加することにしたんですね!
その時に、貴乃花親方が貴信少年に目を留め、直々に土俵で胸を出してくれて、何度もぶつからせてくれたのです。
その後、貴乃花親方から「四股を踏んでみろ!」と言われて、貴信少年は黙々と四股を踏み続けたんですね。
そうしたら、親方がお父さんに、「四股が素晴らしいし、気持ちも強い。この子は絶対に強くなりますよ!」と声をかけたのだそうです。
その言葉に、親子共々大感激したそうです!
憧れの人からそんな言葉をかけられたら、それは嬉しかったでしょうね!
後に貴景勝はこの時の事を、「その時、親方にすごく褒められて意識が変わった。家へ帰ってから、練習や稽古を頑張って行こう!という原動力になった」と、話しています。
このことは、貴信少年がプロの道に進むなら貴乃花部屋に入ろう!ということを決めた、大きな出来事だったわけですね!
【子供時代から高校時代までの履歴】
- 5才から小学3年まで極真空手。
- 私立仁川学院小学校、3年から関西奄美相撲クラブで相撲を始める。5年でわんぱく準優勝。小学生優勝大会3位。6年で優勝大会3位。
- 報徳学園中学、3年で都道府県中学生大会3位。全中優勝。
- 埼玉栄高校、1年で宇佐大会3位。2年で金沢大会3位。高校総体8強。ジュニア体重別100㎏超級優勝。十和田大会2位。弘前大会優勝。選抜大会3位。3年で金沢大会優勝。高校総体8強。ジュニア体重別100㎏超級優勝。世界ジュニア選手権無差別級優勝。
【追記】
貴乃花親方の相撲協会退職に伴い、貴乃花部屋は閉鎖となり、部屋に所属していた貴景勝を含む8人の力士は、千賀ノ浦部屋に移籍することになりました。
貴乃花部屋の突然の閉鎖、移籍に関しての貴景勝のコメントは下記の記事にてご紹介しています!
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まとめ
お父さんとお母さんの深い愛情のもとに、子供時代から一生懸命に相撲に打ち込んできたことがわかりますね!
その後、小学生の時に出会った貴乃花親方の元へ弟子入りし、現在は幕内力士として活躍しています!
前途揚々の若手ホープ貴景勝は、これから、間違いなく相撲界を引っ張っていってくれる逸材だと思います!
お父さんとお母さんも、きっと、息子の成長を誇らしく、頼もしく、応援されておられるのだと思います!