大相撲九州場所で初優勝を飾った、小結・貴景勝を祝した優勝パレードと優勝祝賀会が、母校の埼玉栄高校で行われました!
高校時代の3年間を過ごした、貴景勝の母校への思いはどのようなものがあったのでしょうか?
貴景勝が母校・埼玉栄高での優勝報告会で語った言葉とは?
貴景勝の優勝を祝し、JR西大宮駅から埼玉栄高校までの約550メートルを白いオープンカーで優勝パレードが行われました。
沿道には約5,000人のファンや生徒が集まり、祝福の声を送り、貴景勝はオープンカーから手を振って応えていました。
優勝パレード後には母校で優勝報告会が開かれ、埼玉栄中の生徒を含めた約3,000人が集まり、壇上に上がった貴景勝は後輩たちに向けて以下のようなメッセージを贈りました。
「埼玉栄高校で学んだことは自分の財産ですし、日本一が当たり前という意識が高い環境の中で、高校生活を学べたことが、何よりも良かったと思っています。
相撲部の山田先生に3年間指導していただき、一番印象に残ったのが、『一寸先は闇』という言葉で、どんだけいい成績を残しても、次の日は怪我をするかもしれないし、何か悪いことがあるかもわからない。
だから、調子に乗ってはいけないということを、3年間で毎日のように教えられました。
11月場所で優勝することが出来ましたが、この『一寸先は闇』という言葉を忘れず、調子に乗らずに、来場所まで一生懸命稽古していきます」
というものでした。
山田監督は、「いくら優勝しようが、明日稽古で”ボキッ”といったら、何場所も休んで十両、幕下に落ちる。だからいくら強くても天狗になってはダメ。稽古しろという意味です」
と説明しました。
ともすると、『一寸先は闇』なんて、マイナス思考な考え方かな…と思われるかもしれませんが、優勝の喜びに浮かれて足元が見えなくなってしまったら、意味が無い。
まさに『勝って兜の緒を締めよ』という教えなのだと思わされました。
貴景勝のいつも控えめな喜びの表現や表情は、この教えからきていたのですね。
貴景勝の埼玉栄高校時代の作文をご紹介!優勝で母校にした”恩返し”とは?
貴景勝は、中学校は地元の西宮市の報徳学園中学に通っていました。
中学3年の時に、全国中学校体育大会で優勝をしたのですが、報徳学園は中高一貫の学校であったため、そのまま進学するのかと思っていたところ、貴景勝は中学卒業でプロに進むという考えを持っていたのです。
それを聞きつけた、埼玉栄高の山田監督が、
「プロに行くつもりなら、うちに来いと言った。3年遠回りにはならないよ」と貴景勝をスカウトしたことが、埼玉栄高に進んだきっかけとなったのでした。
埼玉栄高の相撲部は、3年間山田先生の自宅に下宿することとなるため、貴景勝は先生と寝食を共にしてきました。
朝と夜の食事はもちろんの事、昼の弁当も山田監督の奥さんが手作りで毎日持たせていたほど、相撲部の体作りは栄養管理の面からも徹底していました。
そんな環境での高校生活だったので、単なる相撲部の監督と生徒という関係以上の、師弟といった結びつきがあったと言えるのです。
そんな監督や奥さんに対する感謝の気持ちが、貴景勝の高校時代の卒業文集に寄せた作文からもよくわかります。
貴景勝の高校時代の卒業文集の作文をご紹介しましょう!
埼玉栄相撲部の一員になれて
普通科 十五組 佐藤貴信
僕は、埼玉栄相撲部に入り、最高の人たちと会うことが出来ました。
山田先生と奥さんの早苗さんに出会えたおかげで、相撲の強さはもちろん、精神的にも強くなれました。
僕が入院した時も、毎日弁当を持って来てくれたり、早苗さんは調子の悪い時に、励ましてくれたりして、精神的にすごく助かりました。
だから僕は必ずプロで成功して、埼玉栄相撲部に恩返しします。
そして山田先生に常日頃から言われていた、一寸先は闇という言葉を忘れず、相撲の調子がいい時も、決しておごることなく、ただ強くなることだけを考え、日々の生活を過ごしていきたいと思います。
埼玉栄相撲部がなければ、今の自分はありません。
だから山田先生、早苗さん、先輩、後輩に感謝の気持ちを忘れず、相撲を見に来てくださった人に感動を与え、日本を元気にできるような力士になります。
先生、僕を埼玉栄の相撲部の一員にしてくれて感謝しています。
というものです。
凄いですよね。高校時代に宣言した「プロになって成功する」という言葉を見事に達成してしまいました。
この様に、特に山田先生と奥さんに対する感謝の気持ちはとても強く、貴景勝は優勝後に、母校・相撲部への恩返しということで、510㎏(30㎏袋×17袋)、3400合分の米を贈ったのでした。
これには山田監督も大喜びだったそうです。
山田監督と一緒に生活をしていた時に受けた食の恩を、お返ししたかったという貴景勝の気持ちが伝わってきますね!
また山田監督は、初優勝した九州場所で、貴景勝が15日間連続で埼玉栄高校から贈られた化粧まわしをつけて土俵入りしてくれたことも、とても嬉しかったそうです。
貴景勝は3本の化粧まわしを持っていますので、普通は15日間で何枚か付け替えることが多いのですが、初日から連勝が続きゲンがよかったので、縁起を担いで通しでつけたのでしょうね。
さまざまなエピソードを聞いて、貴景勝と埼玉栄高校の相撲部との固い絆をとても感じました。
貴景勝本人は「恩返しはこれではまだまだです」と話していたので、これから先、大関、横綱に昇進した姿を見せることが、さらなる恩返しになるのでしょうか?
しかし、何より怪我なく教え子が元気に相撲を取っている姿を見られることが、先生にとっては何より嬉しいことだと思います!
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