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逸ノ城はモンゴル遊牧民出身力士!両親(父・母)と兄弟もデカかった!怪力の秘密は子供時代に!

大相撲の幕内力士として活躍中の逸ノ城!

逸ノ城はモンゴルからは初となる遊牧民出身の力士です。

身長193㎝、体重225㎏の巨漢は現在幕内では最重量となり、この体格から繰り出される豪快な相撲は見る者を圧倒しますね!

この立派な体格が作られた秘密は、両親(父・母)と共に遊牧民として過ごした子供時代にあるようです。

両親や兄弟はどんな方なのか?

どんな子供時代を過ごしたのか?

今回はそんな逸ノ城のルーツに迫りたいと思います!

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逸ノ城のプロフィールをご紹介!相撲界入門から2場所で十両昇進!

 

身長193㎝、体重225㎏の堂々たる体格は、現在幕内最重量の力士です!

平成22年にモンゴルから鳥取城北高校に相撲留学のため来日し、高校時代にはタイトル5冠を獲得する大物ぶりだったんです。

卒業後、社会人を経て平成26年1月場所に幕下15枚目付け出しで初土俵を踏みました。

そこから、なんと2場所で十両昇進!これは史上最速タイ記録でした!

十両も2場所であっさりと通過し、平成26年9月には新入幕を果たしました。

 

 

その勢いは新入幕の場所でも変わらず、終盤まで優勝争いに加わり、新入幕力士ながら横綱・鶴竜との対戦も組まれ勝利するなど、見事に13勝2敗の成績で殊勲賞と敢闘賞を受賞したんです!

まさに逸ノ城旋風が巻き起こり、モンゴルからの怪物の出現に角界はざわめきました!

その後、体重の増加や腰痛などに苦しみ一進一退の土俵が続きましたが、平成30年3月に三役に復帰してからは、三役の座で次の大関取りを見据えています!

 

【プロフィール】

  • 四股名:逸ノ城 駿(いちのじょう・たかし)
  • 本 名:アルタンホヤグ・イチンノロブ
  • 生年月日:平成5年4月7日(25才)
  • 出身地:モンゴル国アルハンガイ県
  • 身 長:193㎝
  • 体 重:225㎏
  • 出身校:鳥取城北高校
  • 所属部屋:湊部屋
  • 最高位:関脇

(平成30年9月現在)

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逸ノ城はモンゴル遊牧民出身!両親(父・母)はどんな人?兄弟は?

 

逸ノ城はモンゴル国アルハンガイ県バットツェンゲル村というところの出身です!

日本人にはあまり耳なじみの無い地名ですが、アルハンガイ県はモンゴルのウランバートルから西へ約400㎞ほどのところにある、大草原広がるとても自然豊かなところだそうです。

アルハンガイ県の「アル」は「北」、「ハンガイ」は「自然豊かなところ」という意味なのだとか。

 

逸ノ城はお父さんのアルタンホヤグさん(48才)と、お母さんはボロルトヤさん(47才の間に長男として生まれ、子供時代を遊牧民として生活していました!

 

 

現在も両親と兄弟は、この地で遊牧民として暮らしているんですよ。

一家は馬50頭、牛30頭、羊400頭、ヤギ100頭を飼っており、遊牧民にとっては家畜は一番の財産なので、家畜を狙っている狼との闘いの日々なのだとか…

飼っている動物の数もすごいですが、家の周りを狼がうろついているって…、今の日本では考えられないような、自然の中での野生動物との共生ですよね。

逸ノ城は子供の頃から、暴れて言うことを聞かない仔馬や羊がいるときは、ひとりで取り押さえ抱えて移動させたりしていたそうなんです!すごいですよね!

他にも、木を伐り出したり、川へ水を汲みに行ったりと、生活の中で自然に身についていった体力、腕力、脚力が、今の体の基本になっているそうなんです。

生活していることがトレーニングの連続のようなものだったということですね!

 

逸ノ城は妹と弟の3人兄弟で、妹さんは、ツレンドラモさん(22才)で学生の頃はウランバートルの学校へ行っていたので、実家を離れていたのだと思うのですが、卒業されてからお仕事をされたりしているのでしょうかね。

弟さんは、モンクドルジさん(17才)で、アルハンガイ県にある学校に通っているそうです。

 

 

この写真は逸ノ城が12才の時に家族5人で撮ったものですが、逸ノ城はこの時すでに身長180㎝もあったそうなのです!

12才といえば小学6年くらいですから、かなり大きいですよね!

で…、驚くのは一緒に並んで写っているお父さんとお母さん!めちゃめちゃ大きくないですか?

お父さんは191㎝、お母さんは180㎝もあるそうなんです!

逸ノ城の体格のすごさは、間違いなくこのご両親からの最強遺伝子を受け継いでいることが、よくわかりますね!

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17才で日本に相撲留学~相撲界入門へ!

 

逸ノ城は子供の頃からモンゴル相撲をやっていて、14才の時には県大会で優勝したり、来日前17才の頃には3ヶ月程柔道もやっていました。

日本の相撲はモンゴルでもテレビの生放送がされていたので、子供の頃から良く見ており、両親からは「日本に行って相撲をやれば?」と冗談めいて言われていたのだとか。

逸ノ城は生活そのものが基礎体力を存分に磨ける環境だったことと、体格の良さも相まって、スポーツではほとんど素質のみでも他を圧倒していたのだと思います!

 

平成22年4月に相撲の強豪校である鳥取城北高校の石浦監督から勧められて、相撲留学として来日することになりました。

 

 

高校に入学後、逸ノ城は「日本に来たときは弱くて、誰にも勝てなかった」と話していました。

日本の相撲の経験は無かった訳ですから、初めは戸惑ったのだと思います。

しかし、持ち前の体力と素直な性格でグングンと相撲を覚え才能は開花!

右四つの相撲を教えられて、徹底的に磨きをかけていったんですね!

2年生で十和田大会、宇佐大会、弘前大会、選抜大会、3年生で十和田大会の個人優勝を果たし、高校時代は計5冠を獲得する大活を見せました!

 

 

高校卒業後は鳥取県体育協会に所属し、母校のコーチを務めながら、平成25年9月に全国実業団相撲選手権に出場すると、見事に個人優勝を果たし、実業団横綱となりました!

それにより、幕下15枚目付け出しの資格を得て相撲界へ入門することになったのです。

モンゴルから来日する時に、父と交わした「高校を卒業したら相撲界へ入る」という約束を果たすことになったわけですね!

 

相撲界へ入ってからの超スピード出世ぶりは、前述のプロフィールに記した通りなのですが、新入幕でまだマゲも結えていない逸ノ城が優勝争いに加わり一大旋風を巻き起こした時の衝撃は、未だ記憶に新しいです!

そのまま一気に大関に昇進してしまうのではないか?と思うほどの怪物ぶりでしたが、やはりそこは百戦錬磨の幕内力士のいる土俵ですから、体力と素質だけでは通じないところが出てきて、足踏みが続きました。

 

 

平成30年3月に三役に復帰後は三役の地位を守っていますが、まだ三役で二桁の勝ち星を上げたことがありません。

ひとつ上の番付の大関に上がるには、まずは三役で二桁勝利があげられる安定した力を見せて欲しいところです。

これからのさらなる怪物覚醒を楽しみに待ちたいと思います!

 

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