平成31年1月場所、関脇の玉鷲が13勝2敗で初優勝を飾りました!
34才2ヶ月での優勝は、2012年5月を37才8ヵ月で制した旭天鵬に次ぐ、歴代2番目となる年長記録です。
そんな玉鷲のプロフィールと玉鷲を支えたご家族をご紹介してみたいと思います!
玉鷲ってどんな人?プロフィールと家族をご紹介!
【プロフィール】
- 四股名:玉鷲 一朗(たまわし・いちろう)
- 本 名:バトジャルガル・ムンフオリギル
- 生年月日:昭和59年11月16日(34才)
- 出身地:モンゴル・ウランバートル
- 身 長:188㎝
- 体 重:173㎏
- 出身校:モンゴル食料技術大学中退
- 所属部屋:片男波部屋
(平成31年1月現在)
両親
父:バトジャルガルさん(62才)
母:ツェンドスレンさん(61才)
姉:ムンフズルさん(36才)
お姉さんはとても秀才で、平成13年に日本の東京大学に入学し、平成19年に同大学の大学院を修了しました。
現在はモンゴルで、高級戸建住宅を建築・販売する会社の専務取締役を務めています。
玉鷲が来日するきっかけになったのも、先に日本に来ていたお姉さんの存在があったからこそと言えるのです。
※(年齢は平成31年1月現在)
妻と子供
平成29年に、妻・エルデネビレグさん(33才)と結婚しました。
出典:日刊スポーツ
妻は、中川部屋所属でモンゴル人力士の幕下・旭蒼天の姉です。
玉鷲より1才年下の女性で、職業は元モデルさんということで、長身でスラリとしたスタイル抜群の美人で、玉鷲は奥さんにベタ惚れなのです!
平成28年4月に長男・テルムン君が誕生!
そして平成31年1月27日、玉鷲が幕内優勝を決めた日に次男が誕生!
まさに二重の喜びの日となりました。
第二子の誕生は1月27日の午前4時頃、玉鷲は午前2時頃に一度病院を訪れましたが、妻から「私は大丈夫、私より相撲に集中して、少しでも寝て」と言われ、一旦自宅に帰り、再び午前6時頃病院へ駆けつけ、数秒ほど会えて、妻と子供の顔を見ることができました。
そんな中迎えた千秋楽だったので、ほとんど寝ずでの取組となったのですが、次男誕生のの喜びは大きく、より相撲に集中して臨むことができたそうです。
次男の名前はエレムン君と名付けられました!
これは、モンゴル語で「力と心の強さ」を意味するものなのだそうです。
相撲界入門のきっかけ
玉鷲は19才の頃、母国モンゴルでホテルマンになることを目指していて、モンゴル食料技術大学に通っていました。
しかしその頃、日本の相撲界ではモンゴル力士が活躍していた時期だったので、当時から体が大きかった玉鷲は「自分もこの体格を生かして相撲で活躍できないだろうか?」と考え、主だったスポーツ経験はなかったものの、その頃、日本の東大大学院に留学していた姉を頼って来日したのでした。
ある日、両国の町を歩いていたところ、自転車に乗っている力士を発見し付いて行くと井筒部屋に着いたのです。
井筒親方(元関脇・逆鉾)からもてなしを受け、来日した目的を話したところ、同部屋に所属していた当時幕下だった鶴竜から旭鷲山を紹介してもらい、旭鷲山の紹介で片男波部屋へ入門することになり、平成16年1月に初土俵を踏みました。
玉鷲が19才の時でした。
相撲の主な履歴
新十両は入門から4年後の平成20年1月、新入幕は同年9月。
5度の再入幕を経て幕内力士として定着するも、20代の頃は平幕の上位と下位を行ったり来たりのエレベーター力士でした。
初土俵から所要66場所の新三役(平成27年3月・小結)は、外国人力士で最スロー記録。
しかし平成29年1月に新関脇に昇進すると、以降は三役の常連として活躍しています。
30才を超えてから、突如開眼し力を発揮し始めた遅咲きの力士でした。
そんな中、平成31年1月場所で見事に34才2ヶ月で幕内優勝を決めたのでした!
多彩な趣味!女子力は横綱級!
その大きな体からはなかなか想像がつかないのですが、手先がとても器用で、お菓子や料理を作ることが大好き!
手芸や小物づくりも得意で、ベットカバーもデザイン画から手掛けてすべてひとりでミシンを使って作り上げました。
絵を描くことも好きで、特にハートのモチーフを使った絵を多く描いています。
玉鷲の横綱級の女子力が発揮された作品の数々は、こちらでご紹介しています!是非ご覧下さい!
↓玉鷲の女子力が凄くてかわいい!手作りクッキーやケーキ、手芸やアート作品をご紹介!の話しはこちら!
玉鷲の女子力が凄くてかわいい!手作りクッキーやケーキ、手芸やアート作品をご紹介!
片男波部屋出身の力士の優勝は1971年の玉の海以来、48年振りという快挙でした。
明るく気さくな人柄で、ファンをとても大事にする力士です。
「お客さんが『今日見に来て良かった!』という相撲を取りたい」と言うのが口癖で、30才を超えてから力を発揮し始めた遅咲きのヒーロー!
まだまだ老け込まず、ここから大関を目指して頑張ってもらいたいと思います!