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朝乃山、実家の富山の両親と兄弟はどんな人?子供時代の相撲との出会いから入門まで!

入門時から大型ルーキーとして注目を集めていた朝乃山!

現在は幕内力士として活躍しています。

期待が大きいだけに、幕内中位での足踏みは少し歯がゆい感じもしますが、将来性が期待できる若手ホープであることは、間違いありません。

そんな朝乃山の実家、富山のご両親や兄弟はどんな方なのでしょうか?

また子供時代に相撲と出会ったきっかけは?

入門までの足跡もご紹介していきたいと思います。

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大相撲・朝乃山のプロフィールをご紹介!

 

石橋という本名で三段目付出しデビューを果たすと、その体格の良さ、相撲のスケールの大きさから、入門時より注目を集めた力士でした。

平成29年3月、入門から丸1年で新十両に昇進!

四股名を「朝乃山」と改名しました。

同年9月には新入幕を果たし、幕内上位躍進に向けて奮闘中です!

 

【プロフィール】

  • 四股名:朝乃山 英樹(あさのやま・ひでき)
  • 本 名:石橋 広暉(いしばし・ひろき)
  • 生年月日:平成6年3月1日(24才)
  • 出身地:富山県富山市
  • 身 長:188㎝
  • 体 重:165㎏
  • 出身校:近畿大学
  • 所属部屋:高砂部屋

(平成30年12月現在)

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実家の富山の両親と兄弟はどんな人?

 

朝乃山は富山県富山市の出身で、ご両親は現在もこちらにお住まいです。

お父さんは、石橋 靖さん(60才)で、会社員をされています。

 

 

お母さんは、佳美さん(55才)です。

 

 

朝乃山は3人兄弟の真ん中で、お兄さんと弟さんがいます。

お兄さんは、卓磨さん(29才)で会社員をされています。

弟さんは、尚也さん(21才)で大学生だそうです。

男の子ばかりの3人兄弟とは、子供の頃は、さぞかし賑やかだったでしょうね!

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子供時代の相撲との出会い~相撲界入門まで

 

朝乃山の広暉少年は、生まれた時は3700gの大きな赤ちゃんでした!

男3人兄弟の真ん中で、とにかく体を動かすのが大好きな、近所の畑の中を走り回っているような元気な少年でした。

 

 

呉羽小学4年からハンドボールを始め、ゴールキーパーとして活躍していました。

それと並行して4年から相撲も始めました。

相撲を始めたきっかけは、呉羽小学校のグラウンドに、郷土の横綱・太刀山が寄付して出来たことが始まりの「太刀山道場」という土俵があったことでした。

最初は体が大きかったこともあり、誘われたので仕方なく始めたという感じだったそうですが、週2回ほど、呉羽中学校の土俵で稽古をしていました。

 

 

呉羽中学校に入ってからは相撲部に入り、相撲一本に打ち込むようになりました。

呉羽中は相撲の強豪校で、全国大会の常連校だったので、全国大会の出場も多くなりました。

3年の時には、両国国技館であった全国都道府県選手権大会にも出場しました。

高校は、中学時代から活躍していた広暉少年を相撲部監督の浦山先生が熱心に誘ってくれたこともあり、富山商業高校に進みました。

 

 

3年の時には選抜高校相撲十和田大会で決勝に進出し、鳥取城北高校のイチンノロブ君(現幕内・逸ノ城)に敗れましたが、準優勝を飾りました。

 

 

大学は孝行相撲部の浦山監督の母校でもある、近畿大学へ進み相撲を続けました。

2年の時、西日本学生選手権で優勝、4年の時にも再び同大会で優勝。体重別135㎏以上級では、西日本では3年の時に続く連覇を果たし、全国135㎏超級でも優勝など、輝かしい成績を収めました。

 

 

学生時代のタイトルは7つ。国体成年の部4位、全日本相撲選手権で3位の成績によって三段目付出し資格を取得し、プロ入りを決めたのでした!

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亡き恩師、浦山英樹先生の名前を四股名に

 

近畿大学を卒業し、高砂部屋に入門が決まりました。

近畿大学は師匠の高砂親方の出身大学ということもあり、大学と高砂部屋とは合同稽古を行うこともあったりと、縁のある関係でしたので、自然な流れで高砂部屋に入ることになったわけです。

平成28年3月初土俵から、わずか1年というスピード出世で十両に昇進しました。

しかし、十両昇進の陰には、とても悲しい出来事もあったのです。

高校時代の相撲部の監督だった浦山英樹先生が、平成29年1月にガンのため40才の若さで他界されました。

亡くなったのは、朝乃山が幕下優勝を決め、十両昇進を確定的にした1月21日でした。

朝乃山は浦山先生から、相撲のことだけでなく、生活面などにおいてもたくさんのことを教わり、人生においてとても大きな影響を受けました。

浦山先生は病床でも、最後まで朝乃山の十両昇進を気にかけていてくれたそうです。

「朝乃山」という四股名の「山」は、浦山先生の「山」から一文字いただくことにしたのですが、葬儀の日に四股名の下の名前も先生からもらうことを決め、「朝乃山英樹」と改名しました。

先生が背中を押してくれた十両昇進、先生もきっと喜んでくれたことでしょうね。

幕内力士の若手有望株として注目を集めていますが、幕内中位での足踏みが続き、未だ三役昇進を果たせていません。

しかしながら、肩幅の広い立派な体格とスケールの大きな右四つの相撲は、まだまだ可能性は未知数で、将来的には相撲界を背負って立つ力士になると考えてもいいと思っています。

今後の奮闘を期待したいと思います!

 

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