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大相撲 白鷹山(はくようざん)の両親と子供時代をご紹介!四股名の由来は?

中学卒業と同時に相撲界の門を叩き、入門から7年で関取の座をつかんだ、山形県出身の白鷹山(はくようざん)!

両親の温かな愛情のもと、スポーツ万能少年として育った子供時代と共に、相撲界入りから背中を押し、支え続けてくれている家族との絆もご紹介していきたいと思います!

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大相撲 白鷹山(はくようざん)のプロフィールをご紹介!

 

山形県出身としては10年ぶりとなる関取誕生となった白鷹山!

中学卒業と共に入門したたたき上げ力士で、平成30年5月に入門から7年で関取の座をつかみました。

新十両の場所では負け越し、一場所で幕下へ陥落するも、翌場所幕下の筆頭で文句なしの全勝優勝を決め、再び一場所で十両の土俵に帰ってきました。

再十両の場所では見事に10勝の二桁勝利を上げ、今、注目の伸び盛りの若手ホープ力士のひとりです!

 

【プロフィール】

  • 四股名:白鷹山 亨将(はくようざん・りょうすけ)
  • 本 名:斎藤 亨将(さいとう・りょうすけ)
  • 生年月日:平成7年4月13日(23才)
  • 出身地:山形県西置賜郡白鷹町
  • 身 長:186㎝
  • 体 重:160㎏
  • 出身校:白鷹町立白鷹西中学校(現・白鷹中)
  • 所属部屋:高田川部屋

(平成30年11月現在)

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白鷹山の両親(父・母)とスポーツ万能の子供時代をご紹介!

 

白鷹山は山形県西置賜郡の出身で、ご両親は現在もこちらに住んでおられます。

お父さんは、斎藤 英人さん(49才)で、丸羽建設㈱という建設会社の経営者です。

お父さんは若い頃は砲丸投げの選手として活躍していたほどスポーツに長けていたので、子供にも何かスポーツをさせたいという気持ちが強かったそうなんですね。

そこで、亨将少年にも砲丸投げを始め、柔道やバスケットボールなど様々なスポーツをさせてくれたのだそうです。

お父さん自身も本当は力士になりたい気持ちがあったそうなのですが、体格があまり大きくなかったことで力士になることを断念したため、大きく育った息子に力士になることを勧めたのも、お父さんなのだそうです!

お母さんは、妙子さん(48才)です。

主婦と会社員としてもお仕事をされています。家業を手伝っておられるのでしょうか。

白鷹山は3人兄弟の長男で、下に2人の妹さんがいます。

2番目となる妹さんは、慈子さん(20才)で、現在は大学生だそうです。

一番下の妹さんは桐子さん(18才)で、現在は高校生だそうです。

 

(※年令は平成30年11月現在)

 

スポーツ万能だった子供時代!

亨将少年はどんな子供だったのでしょうか?

 

 

生まれた時は3000gも無かった、どちらかというと平均よりやや小さいくらいの赤ちゃんでした。

しかし、とにかく良く食べる子供だったそうで、一番初めに覚えた言葉が「もう一個ちょうだい!」だったのだとか!笑

その溢れんばかりの食欲で、みるみる大きな子になっていったそうです。

鮎貝小学1年~6年まではスポーツ少年団で柔道をしていて、小学5年から白鷹町立西中学校3年まではバスケットボールをしていました。中学の部活はバスケットボール部に所属していました。

 

 

また並行して、中学1年~3年まで丸投げもやっていて、中学3年の時に5㎏で13m38の記録を出し県大会で優勝し、全国中学校大会にも出場したほどの実績がありました!

 

 

前述の通り、お父さんが砲丸投げの選手だったこともあり、砲丸投げも含め、亨将少年がやってみたいと言ったスポーツは、色々とさせてくれたそうなのです。

このような様々なスポーツ経験が、体をバランスよく強く鍛えていってくれたのではないでしょうか?

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中学卒業で相撲界入り!四股名の由来は?

 

亨将少年が相撲界へ進む道を選んだのは、ほぼ100%お父さんの影響と言っても過言ではありません。

前述の通り、お父さんはご自身が少年時代に力士になりたいという夢を持っていたそうなのですが、身長も体重もやや小さかったということで、結局力士になることを諦めたそうなんですね。

そんな想いも持っていたところに、我が息子がスポーツ万能で、想像以上に大きくなった!ということで、亨将少年に相撲界へ進むことを提案したのです。

亨将少年は、そのお父さんの提案を受け入れ相撲の道に進むことを決めたのですが、中学卒業まで相撲経験の無い子が、このような決断をするのは珍しいことだと思います!

そのくらい父子の信頼関係が強く深かったということでしょうね!

相撲経験が無く道場などに所属したりしていないと、当然ながら相撲部屋からの勧誘なども無かったので、家族揃って色んな部屋を調べた結果、高田川部屋のホームページを見て関心を持ち、問い合わせをしたところ、高田川親方が会いに来てくれた!というのが、角界へ入門したいきさつなのです。

本当に珍しいパターンですよね!

多くの力士を取材させてもらってきましたが、このようなケースでの入門の話しはあまり記憶に無いくらいです。

そうして平成23年技量審査場所で初土俵を踏むことになりました。

 

「白鷹山」の四股名の由来は?

 

白鷹山という四股名はどのような想いが込められてつけられたものなのでしょか?

 

【四股名の由来】

  • 地元の山である「白鷹山」(しらたかやま)
  • 出羽国米沢藩主の「上杉鷹山」(うえすぎようざん)

 

地元の山形県西置賜郡には「白鷹山」という山があり、その山の名前をもらうことにしました。

しかし山の名前の読み方は「しらたかやま」と言うのですが、現在の山形県東南部置賜地方を治めていた藩が米沢藩で、そこの第9代藩主であった「上杉鷹山」(うえすぎようざん)の読み方をなぞらえ、「白鷹山」を「はくようざん」と読ませることにしたのです。

 

平成30年5月に新十両を果たしましたが、その場所は5勝10敗と負け越し、一場所で幕下へ陥落してしまいました。

しかし陥落した7月場所の幕下筆頭の番付で見事に7戦全勝の優勝を飾り、再び9月には再十両を果たしました。

再十両の場所は序盤に負けが込み心配されましたが、終盤戦に星を伸ばし、関取として初めての勝ち越しを10勝という二桁勝利で終えました!

白鷹山の潜在能力はまだまだ深く、少しのけぞって相撲を取る癖があるのですが、もう少し前傾で相撲が取れるようになれば、持ち前の腕力や体の強さがさらに生かされ、一気に入幕も見えてくるのではないでしょうか?

注目している若手力士のひとりです!

これからの活躍に期待したいと思います!

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