大相撲の幕内力士、阿武咲。
この「阿武咲」っていう四股名、何て読むか皆さんわかりましたか?
私はわかりませんでした。笑
まだ、あまり世間には知られていないお相撲さんだと思われているかもしれませんが、実はこの力士、今売り出し中の新進気鋭、22才の注目のお相撲さんなんです!
今回は、阿武咲の四股名に込められた熱い思いや、これから相撲界を背負っていくであろうこの力士の数々のエピソードをお伝えしていきます!
「阿武咲」この四股名の読み方と名付けの由来は?
出典:日刊スポーツ
「阿武咲」この四股名は、「おうのしょう」と読みます!
なかなか、読める人っていないですよね。
- 所属部屋の阿武松部屋の「阿武」
- 土俵の上で花を咲かせて欲しいという願いから「咲」
阿武咲は阿武松部屋(おうのまつべや)所属の力士で、師匠は阿武松親方(元・関脇 益荒雄)です。
その師匠であり、部屋の名前でもある「阿武」を頭に、「咲」は子供の頃から通っていた、青森の中泊相撲道場の小山内誠監督(近大OB)の、「土俵の上で花が咲くように」という願いから、つけられたものです。
小山内監督とは今も公私共に親交があり、阿武咲は「恩師であり、父親のような存在、最高の恩師と出会えたことに感謝」と、とても慕い尊敬している人なんです。
阿武咲ってどんな人?本名もこれまた読めない!その生い立ちと素顔を紹介!
出典:デイリースポーツ
- 四股名:阿武咲(おうのしょう)
- 本 名:打越 奎也(うてつ・ふみや)
- 生年月日:平成8年7月4日(22才)
- 出身地:青森県北津軽郡中泊町
- 身長:177㎝
- 体重:168㎏
- 所属部屋:阿武松部屋
(平成30年12月現在)
本名の「打越 奎也」さん!私は四股名に続き、これまた読めませんでした。笑
お名前は「うてつ・ふみや」さんと言います。
子供の頃、この「奎」っていう字を、人に説明するの大変だったでしょうね。たぶんきっと今も。笑
父と子、二人三脚で歩んできた相撲の道!
阿武咲は子供の頃、とってもやんちゃな子どもだったそうです。
5才の頃から、地元の中泊相撲道場に通い始めたのが、相撲との出会いでした。
子供の頃~相撲界入門までの略歴
- 5才から中泊道場で相撲を始める。
- 中里小学校4年でわんぱく全国大会3位。小学生優勝大会3位。6年で小学生優勝大会優勝
- 中里中学校2年で全国都道府県中学生大会団体・個人とも優勝。3年で大会史上初個人連覇。
- 青森県立三本木農業高校1年で高校総体団体優勝。宇佐大会優勝。国体少年の部優勝。
- 高校1年の時に中退して相撲界へ入門。
阿武咲のご両親は、彼がまだ幼い頃に離婚したため、阿武咲は父親の正史さんに引き取られ、父方の祖父母に育てられました。
青森に住んでいましたが、父は仕事の関係で東京に出稼ぎに行っていたため、阿武咲は幼い頃はおばあちゃんっ子でした。
小学生の時に東京で開かれた相撲大会に、ふみや少年が青森から道場の代表として出場することになり上京。
父がその相撲大会の応援に行ったところ、真剣なまなざしで相撲に打ち込む息子の姿に感動し、父は「今は青森に戻って、ふみやのそばにいたい!」と決意し、東京から青森へ戻りました。
その後は、相撲経験のあった父は小学生の息子と一緒に、相撲道場に通い、共に稽古をしたり、トレーニングしたりと、相撲漬けの毎日を父子一緒に過ごしたそうです。
阿武咲は現在22才、お父さんは39才なのですから…、お父さん、めっちゃ若いっ!
阿武咲は、お父さんが17才のときに授かったお子さんなんですね。きっと、友達みたいな親子なんでしょうね!
父は現在、青森を離れ、阿武咲のいる阿武松部屋のある千葉県に住んで、息子の活躍を応援しているそうです。
相撲版、巨人の星ですね!
やんちゃ少年!学生時代はヤンキーだったって噂は本当?
出典:時事通信
ふみや少年は相当なやんちゃ坊主でガキ大将だったらしく、育ての親のおばあちゃんは、とても大変な思いをしたそうです。笑
相撲界に入って来るような子は、やはり腕に覚えのある!ちょっとやんちゃだった子が多いですね。
阿武咲は小学生の時から、当時稽古をつけてくれていた大学生に憧れて、角刈りにして剃り込みまで入れていたらしいです。笑
子どもの頃から相撲の大会で顔を合わせていた、現在幕内の貴景勝は、「阿武咲は、小学校の頃から眉毛までいじってた!そんな奴いないよ」と話していましたから、なかなかのものだったんでしょうね。
高校時代も、ケンカしたりまだまだやんちゃだったという噂はありますね。
でも高校1年の時に、今の師匠、阿武松親方がふみや少年のところにスカウトに訪れました。
その時に、阿武松親方はふみや少年の土俵上での態度や普段の周囲への口のきき方などが悪かったことを見て、入門しなくてもいいから、この子の将来のために!と、「おまえは謙虚さと感謝の気持ちが足りい!」と、叱ったそうなのです。
ふみや少年はその師匠のことばに、「そういうことを言ってくれる大人に初めて出会った」と感動し、この師匠のところでなら!と、阿武松部屋に入門することを決断したそうです。
阿武咲本人も、「自分は相撲が無かったら、何も無い人生だったと思う。ただチャラチャラしてて、まわりから白い目で見られていたと思う」と話しています。
相撲界には元ヤンキー列伝は結構あるんです。
元大関の千代大海(現・九重親方)は中学時代、地元大分では知らない人はいない!と言われていたほどの、ゴリゴリのヤンキーでした。笑
15才で大分から上京し相撲部屋に入門する時に、剃り込み入りのリーゼント姿で九重部屋の当時の親方、元千代の富士のところを訪れたところ、「その頭を何とかしてから出直して来い!」と親方から一喝、千代大海は頭を剃って、翌日再び九重部屋に出直したという逸話もあります。
要は何が言いたいか?っというと、相撲界の親方はヤンキーなんて、全然怖くないんです!ってことです。笑
阿武咲も現在は、とても礼儀正しく、謙虚で人当たりのいいイメージしかないので、逆に相撲界で師匠に精神的に厳しく鍛えられ、大人になっていったのでしょうね。
相撲界は暴力事件などで世間を騒がせるニュースもありますが、本来は礼儀やしつけにとても厳しい世界なのです。
まとめ
阿武咲の名前、覚えてもらえましたか?
本人も、良く読み方がわからなくて聞かれることもある!と話していたこともありましたが、もっともっと強くなって、誰もが知っている力士になることが夢!とのことでした。
これからさらに大活躍をしていけば、スポーツニュースなどで、阿武咲の名前を見ることが多くなるかもしれませんね!
相撲界の次代を担う、若手ホープのひとりですから、今後の活躍に期待したいですね!