力士

大相撲・友風勇太、女手ひとつで育ててくれた母親に恩返し!ピアノが特技のギャップ萌え力士!

日体大から相撲界の門を叩き、入門から所要9場所で関取に昇進した尾車部屋の友風勇太!

女手ひとつで母親に育てられ、ピアノもたしなむ、ギャップ萌え力士です!

友風の子供時代から相撲界入門までの経緯を、ご紹介していきたいと思います。

スポンサードリンク

大相撲・友風勇太のプロフィールをご紹介!

 

平成29年5月に初土俵を踏んでから、所要9場所で新十両に昇進しました。

新十両の場所では、連勝スタートを切るも3日目から3連敗、しかしその後、千秋楽まで怒涛の10連勝で、見事に新十両の場所で優勝を成し遂げました!

 

【プロフィール】

  • 四股名:友風 勇太(ともかぜ・ゆうた)
  • 本 名:南 友太(みなみ・ゆうた)
  • 生年月日:平成6年12月2日(24才)
  • 出身地:神奈川県川崎市川崎区
  • 身 長:183㎝
  • 体 重:177㎏
  • 出身校:日本体育大学
  • 所属部屋:尾車部屋

(平成30年12月現在)

スポンサードリンク

友風、女手ひとつで育ててくれた母に感謝の気持ち!

 

友風は神奈川県川崎市の出身で、お母さんは現在もこちらにお住まいです!

女手ひとつで育ててくれたお母さんは、星山 奈美さん(47才)で、エステティシャンのお仕事をされています。

 

 

まさにご自分の腕ひとつで子供を育て上げたお母さんは、本当に逞しくて凄いですね!

友風は3人兄弟の長男で、下に妹さんが2人います。

二番目の妹さんは友香ん、三番目の妹さんは友梨さんで、お2人とも会社員をされているそうです。

母子家庭で育った友風は母親との仲がとても良く、

「母ひとりで、ここまで大きく育ててもらった。高校から大学と、どこの地方での相撲の試合の応援にも、必ず来てくれていた。いつも近くにいてくれる、精神的に支えてもらった大きな存在」

とお母さんに対する感謝の気持ちを素直に話していました。

スポンサードリンク

ピアノが大好きな子供時代!相撲との出会い~入門まで!

 

お母さんの影響で、1才の頃からピアノを弾いて遊んでいたそうで、小さな頃は、時間があればいつもピアノを触っていたそうです。

友風自身も子供の頃を思い返すと、ピアノばかり弾いていた記憶があるのだとか。

芸術方面に長けた少年かと思いきや、幼稚園から小学校6年までは、横浜市鶴見区にある川原道場で、極真空手を習っていたスポーツ少年でもありました。

 

 

並行して小学5年から6年までは、ミニバスケットボールもやっていました。

川崎市立富士見中学1年から3年までは柔道を始め、柔道の練習の一環で中学2年から相撲を始めました。

相撲との出会いは、中学に入ってからだったのですね!

中3の時には関東大会団体で優勝をしたり、全中、全国都道府県中学校選手権に出場も果たしました。

しかし、子どもの頃から大好きでやっていたピアノはずっと続けていて、中学時代の文化祭での合唱コンクールなどでは、いつもピアノの伴奏を担当していたほどの腕前でした。

その中学時代の腕前を聞いて下さい!

 

 

 

当時から体は大きかったので、体重100㎏ほどもある男の子が、やおら腕まくりをしてドカドカとピアノに向かったかと思うと、華麗な指裁きでピアノを披露したら、見た人はさぞかし驚いたことでしょうね!笑

中3の頃は、真剣に音大に行きたいと、できればピアノの道へ進むことを目指していたので、一日3時間~4時間ほど、毎日練習をしていたそうです。

しかし高校に入り、人生の進路が一変することとなるのです。

神奈川県立向の岡工業高校に入ると相撲部に入部しました。

2年で弘前大会2位、3年で十和田大会3位と、その強さの片鱗を見せ始めていたのです。

卒業後は日体大へと進み、相撲を続けることにしました。

大学での成績も、2年の時に金沢大会で8強や、4年の時には宇和島大会で優勝、東日本無差別級で3位など、数々の優秀な成績を収めてきました。

将来、相撲の道に進むか、一般社会に出て就職するか悩んだのですが、学生時代に対戦した選手たちが、次々と相撲界入りをして活躍している姿を見て、プロ入りに気持ちが傾き、向の岡工高校相撲部の清田監督の勧めで、日体大の先輩でもある嘉風関を紹介され、話しを聞き、自分も力を試してみたいと、相撲界の道に進むことを選びました。

平成29年5月に初土俵を踏んでから、わずか所要9場所で新十両に昇進し、その場所で見事に12勝3敗の成績を上げ、新十両の場所での優勝という快挙を成し遂げました!

ちなみに大好きだったピアノは、今でも弾ける機会があれば楽しんでいるそうで、

「ピアノは息抜きになるし、嫌なことやストレスが溜まったら、ピアノを弾いて心を落ち着かせているんです。自分には無くてはならない存在」

と、話していました。

 

関取になっても嘉風関の付け人を続けている理由とは?

友風は、自分を相撲界に導いてくれた嘉風をとても慕っていて、

「嘉風関がいなかったら、9場所のスピードで十両に上がれなかったと思う。いつも兄弟のように親身になって自分のことを考えてくれる人。自分の白星より、友風の白星が嬉しいと言ってくれたり、自分が励みになることをいつも言ってくれる」

と、その信頼は絶大なものです。

友風はずっとその嘉風の付け人についていて、相撲のいろはを教えてもらって来ましたが、友風が幕下上位の時に、嘉風から、

「おまえが十両になっても、おまえがよければ締め込みを引っ張りに来て欲しい(付け人を続けて欲しい)」と言われ、

友風は、「自分も付け人で嘉風関の相撲を見られたら、為になるのではないかと思って、是非、変わらず付け人をやらせて下さい」

と、二つ返事で引き受けたと言います。

新十両の場所でも、自分の相撲が終わった後、幕内の嘉風のもとに行き、嘉風の相撲を花道の奥で見つめている姿が印象的でした。

関取に昇進した力士が付け人の仕事を続けるのはとても珍しいことですので、嘉風と友風の間に流れる信頼関係の深さと強さを感じさせられる話ですね!

友風は、身長183㎝、体重177㎏という申し分の無い体格で、本人曰く「自分は器用ではないので」押し相撲一本の相撲に磨きをかけています。

稽古場での立ち合いの破壊力は、相手を根こそぎ持って行ってしまうほどですが、本場所になると、どうしても立ち合い見て当たっていってしまうところがあり、相手に圧力が伝えきれない残念なところが出てしまいます。

まだまだ若い友風ですから、これから更に立ち合いを磨いていけば、幕内で活躍できる日もすぐだと思います!

これからの活躍に注目したいです!

スポンサードリンク