力士

大相撲・錦木、四股名の読み方と由来は?野球少年が相撲を始めた理由とは?

大相撲の幕内力士として活躍中の錦木!

初めてとなった上位挑戦の場所で見事に勝越し!

新十両以来、巡業では毎日休みなく稽古土俵に上がり続ける真面目な力士が、その成果を本場所で見せ始めています。

子供時代は野球少年だった錦木は、父の影響を受けて相撲を始めました。

どういった経緯だったのでしょうか?

また「錦木」という四股名には、どのような由来があるのでしょうか?

スポンサードリンク

大相撲・錦木のプロフィールをご紹介!


出典:デイリースポーツ

 

平成18年3月に初土俵を踏んでから、丸9年かけて新十両に昇進しました。

十両を6場所で通過し、平成28年5月に新入幕を果たしました。

幕内の土俵でなかなか力が発揮できず、1年で十両に陥落、しかし地力を着実に上げていた錦木は、この場所で十両優勝を果たし、一場所で幕内へ返り咲きました。

平成30年11月には、前頭3枚目で上位との対戦も組まれましたが、大関を倒すなどの活躍を見せ、見事に勝ち越し!

歩みは遅くとも着々と地力をつけているところを見せました。

 

【プロフィール】

  • 四股名:錦木 徹也(にしきぎ・てつや)
  • 本 名:熊谷 徹也(くまがい・てつや)
  • 生年月日:平成2年8月25日(28才)
  • 出身地:岩手県盛岡市
  • 身 長:186㎝
  • 体 重:174㎏
  • 出身校:盛岡市立米内中学校
  • 所属部屋:伊勢ノ海部屋

(平成30年12月現在)

スポンサードリンク

野球少年だった錦木が相撲を始めた理由とは?

 

錦木は岩手県盛岡市の出身で、現在もご両親はこちらにお住まいです。

お父さんは、熊谷 建さん(54才)で、解体業のお仕事を会社員としてされています。

お父さんは背も高くガッチリした体格で、学生時代から盛岡農業で相撲をやっていて、国体にも出場したことがある実力者なのです!

お母さんは、百合子さん(57才)で主婦をされてます。

錦木の徹也少年は3人兄弟の末っ子で、兄が2人います。

一番上のお兄さんは、龍典さん(30才)で、二番目となるお兄さんは、建次さん(29才)、お二人とも会社員をされているそうです。

 

熊谷家は、お父さんが学生時代からアマチュアででもずっと相撲をやっていたこともあって、徹也少年にとって、相撲はずっと身近なところに存在していました。

 

 

徹也少年は小学2年の時から野球を始め、4番打者でキャッチ―をやっていたそうです。

体が大きかったので、当たれば飛ぶ!というなかなかの剛腕バッターだったそうですよ。

 

 

子供心ながらに、将来は野球選手になりたいと思っていたそうです。

盛岡市立米内中学校に進学してからは、学校に野球部が無かったため、卓球部に入りました。

徹也少年が中学1年になったとき、お父さんが相撲の中学総体の手伝いをしていた関係で、その大会に徹也少年もお父さんの勧めで出場することになったのが、初めて相撲と触れ合った出来事でした。

 

 

中学3年の時には、東北大会の決勝トーナメントに進出するまでになっていました。

学校の部活や道場で相撲を教わることは無かったので、自分のまわりで相撲をやっていたのはお父さんだけという環境のでしたので、四股やすり足などの相撲の基本動作を、お父さんからは徹底的に教えこまれたそうです。

そんな状況の中で、どのようなきっかけで相撲の道へ進んだのかというと、地元の盛岡に、相撲健康体操の普及のために訪れていた先代の師匠(元関脇・藤ノ川)に、そのイベントに盛岡市相撲連盟に所属する父親の代わりにたまたまスタッフとして手伝いに行っていた徹也少年が出会い、親方から、

「君、体大きいね!よかったら(相撲)どうだい?」

と声をかけられ名刺をもらったことが始まりでした。

スカウトを受けすぐには決断は出来ませんでしたが、後日改めて部屋のOBの人が来てくれて話しを聞き、部屋の方に一度遊びに行くことになり稽古を見たりちゃんこを食べたりして、相撲部屋を見学し、入門することを決めたのでした。

お父さんは、男の子3兄弟の中で、誰か相撲をやってくれたらと思っていた希望を、末っ子の徹也少年が叶えてくれて、とても喜んだといいます。

 

 

中学を卒業し、いよいよ入門前日、学校には当時の師匠が訪れ、校長室で新しい世界に向かって旅立つ決意のほどを語ったのでした。

スポンサードリンク

「錦木」という四股名の読み方と由来は?

 

「錦木」という四股名を始めて聞いた時、一瞬本名のままなのかな?と思ったほどでしたが、本名は熊谷だし…、シンプルな四股名だなぁ~というのが、正直な感想でした。

読み方は「にしきぎ」です。

しかし、この「錦木」という四股名は実は歴史のある由緒正しきものだったのです。

この四股名は、伊勢ノ海部屋伝統の四股名で、初代錦木塚右衛門(宝暦10年<1760>~文政6年<1823>)は最高位が大関で、のちに初代二所ノ関軍右衛門となる南部藩お抱え(岩手県北上市出身)の力士が名乗っていた四股名なのです。

岩手県出身で伊勢ノ海部屋の力士にとっては、もうこれ以上に無いという伝統の四股名を受け継いだということなんですね!

 

錦木は派手さはありませんが、とにかく入門時より地道にコツコツと努力を重ねるタイプの力士で、稽古もほとんど休んだことが無く、巡業の稽古も一日も休んだことが無いという、本当に真面目な力士です。

入門から再入幕まで11年半を要しましたが、ほとんどの力士が跳ね返される初挑戦の上位対戦の場所で見事に勝ち越すなど、着実に力を蓄えてきました。

今は多少怪力にまかせた相撲が目立ちますが、本人曰く、立ち合いに強く当たれて、先手を取れるような相撲を目指していきたいと、日々鍛錬を重ねています。

初代の錦木は「大関」でしたから、初代に追いつけ追い越せの気持ちで、まずは三役目指して頑張っていって欲しいです!

 

【関連記事】

↓幕内・錦木が結婚!お嫁さんの7歳年上の元スー女との馴れ初めは?の話しはこちら!

幕内・錦木が結婚!お嫁さんの7歳年上の元スー女との馴れ初めは?

スポンサードリンク