大相撲界で大関として活躍している髙安!
精悍な面立ちに褐色の肌で雄々しさ溢れる力士です。
相撲ぶりは組んで良し、離れて良しのオールラウンダーの取り口が魅力!
髙安は日本人の父とフィリピン人の母との間に生まれたハーフ力士です。
野球が大好きだった子供時代から、どのようにして相撲の世界の門を叩くことになったのでしょうか?
今回は、そんな髙安のご両親と兄弟、また少年時代についてお話ししてみたいと思います!
大関・髙安のプロフィールをご紹介!
平成17年3月に中学を卒業後、鳴戸部屋に入門。相撲界の門をたたきました。
中学時代は野球少年であったため、それまでに相撲の経験は無く、相撲は角界に入ってから一から学びました。
入門から約5年半で新十両に昇進!平成生まれ初の関取として注目を集めたのです。
関取昇進後も、四股名は両親からの希望もあり、本名の「髙安」のまま取り続けることになりました。
関取昇進後は体もどんどん充実し、平成23年7月には新入幕へ。
幕内力士として定着後も兄弟子の稀勢の里との連日の猛稽古で地力をつけ、平成29年1月に小結で11勝を上げたところから、翌3月は関脇で12勝、大関取りのかかった5月にも11勝を上げ、7月には見事に大関へ昇進しました。
大関昇進後は、足や腰の怪我に悩まされ休場の場所も目立ちますが、まだまだ若い大関なので、最高位目指して日々精進を続けているところです。
【プロフィール】
- 四股名:髙安 晃(たかやす・あきら)
- 本 名:髙安 晃(たかやす・あきら)
- 生年月日:平成2年2月28日(28才)
- 出身地:茨城県土浦市
- 身 長:185㎝
- 体 重:180㎏
- 所属部屋:鳴戸部屋→田子ノ浦部屋
- 最高位:大関
(平成30年11月現在)
母はフィリピン出身、父は日本人のハーフ力士!兄弟は?
出典:産経新聞社
髙安は茨城県土浦市の出身で、ご両親は現在もこちらにお住まいです。
父は髙安 栄二さん(68才)、母はビビリタさん(57才)で、お母さんはフィリピン出身の方なので、髙安はハーフということですね。
髙安の彫りの深い精悍な顔立ちは、お母さんの血が流れていることがわかりますね。
両親は髙安が子供の頃はエスニック料理のレストランを経営していました。
お店は茨城県の水戸と土浦に加え、埼玉県内にも店舗を構えていたこともあったそうで、当時はとても忙しい日々を過ごしていたそうです。
平成18年にお父さんが腎臓がんを患い、腎臓をひとつ取り除くという大手術を受けたことを機に、当時土浦に1店舗残していたレストランも閉め、現在はお仕事はされていないそうです。
髙安はお兄さんが1人いる2人兄弟です。
お兄さんは5才上で、洋幸さん(33才)で、ホテルで勤務されているそうです。
お兄さんも身長が185㎝くらいあり、体重も100㎏を超えるぐらいのガッチリとした体格なので、どうやら髙安家の遺伝子は大きな逞しい男の子になるのでしょうか?
兄弟の仲は良く、今でも相撲の本場所にはお兄さんは現地に足を運んで弟の応援をするそうですよ!
野球少年が相撲界に入ることになったいきさつは?
髙安こと晃少年は、生まれた時から3840gもあるビックベビーでした。
良く食べ、良く寝る子だったそうでどんどん大きくなり、常にまわりの友達よりは頭ひとつ大きな子だったそうです!
性格はとてもシャイで人見知りをするところがあり、初対面の人にはなかなか思うようにしゃべれない子だったようです。
前述の通り、ご両親はレストランを経営していたので、晃少年は小学校に上がるまでは、いつもお店の方に一緒に連れて行かれて、店の中や近くで遊んでいました。
夕食も店の厨房で家族4人で一緒に食べていたそうです。
フィリピン風のビーフシチューやビーフン、バナナの春巻きなどが大好物だったそうですよ!
幼稚園の頃から体は大きかったのですが、特にスポーツはやっておらず、土浦小学校に入学してから、4年生から6年生まで土浦リトルリーグに入って、硬式野球をやっていました。
力が強かったのでバッティングの当たりは相当に強かったそうです。
きっと小学生離れしていたのでしょうね!
土浦第一中学に進学後は、野球部に所属して体が大きいのでポジションはファーストやキャッチャーをやっていたそうです。
毎日、朝練と授業の後にも放課後に練習、日曜日も練習に行くほど、野球に没頭する中学時代でした。
相撲との出会いはひょんなことがきっかけでした。
晃少年は中学時代あまり勉強は好きでは無く、成績も良くなかったことで、進路を決める中学3年の冬休みの時期に、学校の先生と将来について相談していたところ、担任の先生から、
「体が大きいので相撲をやってみたらどうだ?」
と言われたことが、晃少年にとっては「相撲」というものが、自分の人生に関わって来た最初の出来事でした。
両親にその話をしたところ、父は元々相撲が好きだったこともあり、
「体ひとつで勝負する相撲の世界はいいのではないか?」
と、大賛成されたそうです。
そうと決まればお父さんは、即行動を起こしました!
横綱が興している部屋で、中学時代は野球部だった稀勢の里が所属している鳴戸部屋(先代鳴戸親方・元横綱隆の里)がいいのではないかと考え、部屋に事前に連絡を入れず晃少年を連れて、鳴戸部屋を訪れたのでした。
まだ当時は、晃少年は相撲界に進むか否か迷っていた時期だったので、事前に予定を決めると晃少年が行くのをためらったり、嫌がったりするのではないか?とお父さんは考え、事前に連絡を入れずに、急遽訪問することにしたようでした。
お父さんはなかなかの策士ですね!
訪問した鳴戸部屋で晃少年は師匠から、引き締まった体の大きさ、筋肉の柔らかさ、足の大きさなどを褒められたことで、相撲の道へ進もうと決意が固まったのです。
そうして中学卒業と同時に相撲界へ入門の運びとなりました。
小さい頃から相撲経験があって相撲界へ進んでくる子が多い中で、珍しいタイプのたたき上げ力士ですが、未経験ということは、逆に変な癖が体に付いておらず、一から相撲界での稽古を叩き込まれ、みるみる番付を上げて行ったのです。
入門当時は厳しい稽古に耐え切れず、何度も部屋を脱走して実家に逃げ帰っていた少年も、平成18年にお父さんが病気をしたことを契機に、
「自分が相撲の世界で成功して両親を支えていかなくては」
と稽古に集中するようになり、今では角界を背負う大関にまで昇進しました。
迫力あふれる体当たりの立ち合いや、強烈な突き押し、まわしを取っても豪快な投げもあり、180㎏を超える体からは想像もつかないほどの俊敏さを備えています。
未だ優勝が無いのが不思議なくらいですが、怪我に気をつけて、更なる最高位である横綱を目指して頑張って欲しいと思います!