大相撲の幕内力士として活躍中の輝(かがやき)。
平成30年10月に亡くなった、54代横綱・輪島の遠縁にあたる力士で、突き押しからの大きな相撲が魅力的な若手ホープです!
輝のプロフィール、その四股名の由来とご両親(父・母)、兄弟について、また子供の頃の相撲との出会いから角界入門までの足跡などを、ご紹介していきたいと思います。
大相撲 輝大士のプロフィールをご紹介!
出典:毎日新聞社
幕内力士として活躍中の輝は、今では珍しい中学卒業と同時に相撲界に入門してきた、たたき上げの力士です!
長い手足と立派な体格から繰り出される突き押しの威力は、破壊力満点!
次世代の相撲界を担っていく若手ホープ力士なんです!
【プロフィール】
- 四股名:輝 大士(かがやき・たいし)
- 本 名:達 綾哉(たつ・りょうや)
- 生年月日:平成6年6月1日(24才)
- 出身地:石川県七尾市
- 身 長:193㎝
- 体 重:167㎏
- 所属部屋:高田川部屋
(平成30年10月現在)
輝 大士の四股名の由来は?
出典:日刊スポーツ
- 輝(かがやき)…①「光輝くように」との願いから。②北陸新幹線の「輝」から。
- 大士(たいし)…54代横綱・輪島大士の下の名前、大士(ひろし)から読み方を変えて。
「輝」は、ちょうど十両昇進時の翌春に、地元の石川県に向かう北陸新幹線が開業する時だったため、その新幹線の中で一番速い「輝」という名前をもらったものだそうです。
一文字の四股名の力士は少なくて目立ちますし、シンプルで印象の良い文字ですし、とてもいいですよね!
下の名前の「大士」は、平成30年10月に亡くなった54代横綱・輪島大士(わじま・ひろし)が輝の父方の遠縁にあたることから、輪島に許可をもらい下の名前「大士」の読み方を変えて「たいし」として譲られたものです。
輪島は生前、高田川部屋にも訪れ、輝の稽古を見たりアドバイスを送ったりと、とても可愛がっていたんですよ。
名横綱の血筋が流れる大器ですから、将来性は抜群ですね!
輝の両親(父・母)と兄弟をご紹介~子供の頃の相撲との出会いは?
輝は石川県七尾市の出身で、ご両親は現在もこちらにお住まいです。
お父さんは、達 一幸さん(50才)で、トラックの運転手さんをされています。
お祭りなどが好きな明るい方だそうで、輝の綾哉少年はよく子供の頃一緒にお祭りに連れて行ってもらい楽しんだそうですよ!
でも、あまり相撲のことに関しては口を出してくるようなタイプの人ではなかったそうです。
お母さんは、里江さん(49才)です。
綾哉少年は3人兄弟の末っ子で、一番上がお姉さんの、あおいさん(27才)で、すでにご結婚をされて現在はご実家と同じ石川県内にお住まいだそうです。
次がお兄さんの、巧哉さん(26才)で会社員をされているそうです。
そして、3番目の末っ子が綾哉少年なのですが、子供の頃から3兄弟はとても仲良く、いつも一緒に遊んでいたそうですよ!
末っ子が相撲界で活躍しているのは、お姉さん、お兄さんにとっても誇らしく、また心配でもあるのでしょうね。
(※年令は平成30年10月現在)
子供時代から大きな子!相撲との出会い~相撲界入門へ!
綾哉少年は生まれたときは、それほど大きな子ではなかったそうなのですが、幼稚園に入った頃からどんどん大きくなり始め、制服や上履きなどは、一番大きなサイズの物も入らないほどだったそうです。
七尾市立石崎小学校1年のころから、穴水少年相撲教室で相撲を始めて、子供の頃から地元では有名な子だったそうです。
この穴水少年相撲教室には4年先輩に、現在幕内で活躍中の遠藤もいたそうで、さすが相撲どころ石川県の名門道場ですね!
小学校を卒業すると、相撲を続けるために地元の七尾市を離れ、金沢市立西南部中学校に進学することになりました。
ここの中学までは自宅から離れていて通うことが出来ないので、綾哉少年は中学入学と同時に、中学校の相撲部の監督の家に下宿することになったんですね!
遠藤も同じ中学で、相撲留学生として監督の家に下宿生活をしていたので、綾哉少年も同じ道を辿って行ったのですね。
12才から親元を離れて相撲に打ち込むことを決めるとは、親も子もどちらも凄いことだと思います!
綾哉少年は中学1年の時には、すでに身長が183㎝、体重が108㎏もある大きな子で、中学3年の時には、全国都道府県中学生選手権大会の個人戦と団体戦ともに優勝を果たすなどの実績を上げていました。
この頃にはすでに、中学を卒業したら相撲界へ入ろうと決断していたそうで、高校への進学などは考えなかったそうです。
15才での決断、何とも潔く頼もしいですよね!
中学時代から、大物として名が知れ渡っていた綾哉少年の元には、何ヵ所かの相撲部屋から誘いの声がかかったそうですが、中学2年の時に、高田川親方(元関脇・安芸乃島)から声をかけられていたこともあり、いくつかの相撲部屋を見てはみたそうなのですが、「一番厳しそうだったので高田川部屋を選んだ」と、高田川部屋への入門を決断したのでした!
選んだ理由がすごいですよね!
自ら厳しい道を選ぶって、15才にしてどういう育ち方をすると、こんなに勇ましい子になるのでしょうか!
新弟子検査の時には、体格はすでに身長193㎝、体重145㎏もあり、大物ルーキーの出現に角界はざわめいたほどでした。
幕下での低迷期を抜け出せた理由は?
平成22年3月に入門してから、1年半ほどで幕下に上がりましたが、そこから約2年ほど幕下での足踏みが続きました。
「もうこのまま上がれないんじゃないか…と不安があった」という、この時期に親方からの言葉に目を覚ましたのです。
平成25年1月から3月、5月と3場所連続で負け越しが続き、自分でもどうしていいのかわからず、半ばやけを起こしかけていた時に、
「おまえ、このままじゃ、ホントにダメになるよ!」と親方からのゲキが飛んだのです。
そこから初心に戻り、基本稽古を徹底してやったことから、活路を見いだし、翌7月から8場所連続での勝ち越しを決め、平成26年11月には十両昇進を決めたのでした!
その後、十両で力を蓄え、平成28年1月には新入幕を果たし、幕内力士として現在も活躍しています。
輝は性格がとても素直で真面目、稽古熱心、体格も申し分なく、その素養の凄さから考えると、まだ自分の力を充分に出しきれていないように思います。
長い手から繰り出される突き押しは、破壊力はあるのですが、基本的に足が長いこともあり腰高で、腰が伸びきってしまう癖があり、前に落ちる相撲が少なくありません。
何かもうひとつ、長い手を生かして上手をサッと引いて走るような相撲を覚えれば、才能がさらに開花するように思うのです。
しかし、稽古熱心な相撲に向かうその姿勢は、必ずや実を結ぶ時が来るのではないかと期待しています。
次代の相撲界を担う、若手ホープ力士のひとりとして、その進化を見守りたいと思います!