大相撲力士として活躍中の志摩ノ海!
四股名を見てもわかるように、三重県志摩市出身の力士です。
相撲好きだった父と共に育った少年時代、相撲を始めたきっかけは何だったんでしょうか?
大相撲・志摩ノ海のプロフィールをご紹介!
平成24年5月に初土俵を踏み、相撲界入りをした志摩ノ海(しまのうみ)!
入門から1年ほどで幕下にまで昇進するも、左膝の前十字靭帯を断裂するという大怪我を負い、約1年間の休場をして治療とトレーニングに励みました。
その後、不屈の精神で怪我からの再起を果たし、平成28年7月に新十両に昇進しました。
【プロフィール】
- 四股名:志摩ノ海 航洋(しまのうみ・こうよう)
- 本 名:濱口 航洋(はまぐち・こうよう)
- 生年月日:平成元年7月11日(29才)
- 出身地:三重県志摩市
- 身 長:178㎝
- 体 重:163㎏
- 出身校:明徳義塾高校→近畿大学
- 所属部屋:木瀬部屋
(平成31年1月現在)
亡き父が大好きだった相撲の道へ!子供時代の相撲との出会いは?
志摩ノ海は、その四股名の示す様に三重県志摩市の出身で、ご家族は現在もこちらにお住まいです。
お父さんの濱口 幸康さんは、平成21年4月に54才で亡くなられました。
相撲が大好きなお父さんで、志摩ノ海が子供の頃には、いつもテレビで相撲を見て楽しんでいたことを覚えているそうです。
お母さんは恵子さん(57才)で、以前は保育士のお仕事をされていたそうです。
志摩ノ海は2人兄弟で、お兄さんがいます。
お兄さんは裕さん(34才)で、現在は会社員をされているそうです。
男兄弟2人だったので、子供の頃は一緒に暴れまわって遊んでいたそうで、あちこちにすぐいなくなり、しょっちゅう親に怒られていたそうです。笑
わんぱく坊主ぶりが目に浮かぶようですね!
志摩ノ海は子供の頃から、まわりの子たちより少し体が大きかったそうで、町で行われた相撲大会に小学1年の時に出場し、相撲の経験はなかったものの、見事に優勝したそうです。
お祭りの時なども、体が大きかったことで大太鼓をまかされて、張り切ってやっていたのだとか。
相撲を本格的に始めたのは、小学4年の時に『志友館相撲道場』が地元に出来て、「相撲をやらないか?」と誘われたことがきっかけでした。
小学1年の時に、相撲の経験も無く、いきなり相撲大会での優勝を経験していたら、子供心ながらに興味は持ったでしょうね!
しかし、最初はまわしを巻くことに抵抗があって、本当は始めは相撲が嫌だったそうなのですが、稽古をやっていく間に楽しくなってきて、積極的に続けるようになったそうで、お父さんはとても喜んでいたそうです。
小学6年の時は、わんぱく相撲の全国大会や全国小学生優勝大会にも出場したりしていました。
他にもスポーツは、布施田小3年から和具中3年まで野球をやっていましたが、あくまでメインに考えていたのは相撲だったので、野球は基礎トレーニングだけだったそうです。
学校には相撲部が無かったのですかね?
中学に入学しても道場での相撲の稽古は変わらず続けていて、中学2年で全国都道府県中学、全中ともに8強になりました。
この写真は中学3年の時に、当時明徳義塾高校の相撲部にいた栃煌山(当時・影山)と徳勝龍(当時・青木)がスカウトのために監督さんと一緒に道場に訪ねて来てくれた時のもので、この縁から、中学卒業後は親元を離れ、明徳義塾高校に進学することになりました。
高校3年では国体少年の部8強という成績も収めました。
高校卒業後は現在の師匠、木瀬親方(元幕内・肥後ノ海)から相撲界への勧誘を受けており、入門しようかと考えていたのですが、高校時代が部員不足などで不完全燃焼に終わったという気持ちが強かったので、大学に進学してから入門しようと決め、近畿大学に進学し相撲を続けることになりました。
近畿大学時代は、個人の記録を残すことは出来なかったのですが、大学で相撲をやったことで、視野がとても広がったと思うと話していました。
そうして大学卒業後、かねてから声をかけていてくれた木瀬親方の元へ入門し、相撲界デビューとなったのでした。
学生時代に亡くした父は、力士になることを期待していたと思うので、相撲界入門はさぞかし喜んでくれたでしょうね。
四股名についている「志摩」は父が育った場所で、父は生前「力士になったらつけて欲しい」と願っていたものだったのだとか。
三重県でも志摩市からは初めての関取ということもあり、故郷の期待やお父さんの思いを背負った四股名で、幕内力士目指して頑張っていってもらいたいと思います!