一年納めの九州場所で優勝を成し遂げたのは、22才の新鋭、小結・貴景勝でした!
優勝の決まった千秋楽の会場には、応援に駆け付けた両親の姿がありましたが、子供の頃から厳しいトレーニングを父と共にやって来た息子を、母はどのような心境で見守っていたのでしょうか?
母子2人のエピソードと決戦前夜に交わしたラインの内容をご紹介したいと思います!
千秋楽前夜、貴景勝と母のラインのやりとりの内容は?
出典:サンケイスポーツ
14日目の髙安戦に勝てば優勝が決まるという一番で、貴景勝は相撲内容では勝っていましたが、最後、僅差のところで勝ち星を逃してしまい、髙安と2敗で並ぶことになり、優勝の行方は千秋楽まで持ち越されることになりました。
貴景勝は子供の頃から、その才能を父・一哉さんによって鍛え上げられてきました。
その特訓は小学3年の頃からの相撲クラブでの練習に加え、練習が休みの日には、父の決めたメニューで四股、すり足、テッポウ、ぶつかり稽古、走り込みと、まさに巨人の星ばりの超スパルタだったといいます。
そんな父子を母の純子さんは、食事と精神面でサポートし続けました。
食卓に並ぶ肉は1キロにもなることもあったそうです。
毎日の厳しいトレーニングで、父の前では弱音を吐かない息子の本音も母は優しく耳を傾けていたのだと思います。
母は貴景勝が力士になってからも、ラインや電話でやりとりをしていましたが、特に場所中は他愛もないような一言を交わすようなやりとりが多かったようです。
今場所も場所の前半に貴景勝から「体がきつい」というような一言が入ったりすることもあったそうです。
天下のお関取とは言っても、まだ22才。普通なら大学生くらいの年齢なので、感情のコントロールを律している貴景勝でも、本音を吐き出したくなる時もあるでしょう。
そんな気持ちを吐き出す相手は、やはり子供の頃からいつも温かく陰ながら見守ってくれていた母だったのではないかと思います。
そんな貴景勝が14日目の夜、髙安に負けて帰って来た時に母に送ったラインがこちらです。
「明日は勝つから。みてて」
短いことばに決意を込めて、心配をしているであろう母を安心させるかのような一言。
それに対し母は、「楽しませてくれてありがとう」と返しています。
特に励ますわけでもなく、心配するでもなく、本当に息子を信頼していることを伝える素敵な一文だと思いました。
こんな母子のやりとりが、2人のいい関係を象徴しているな~と思わせてくれました。
優勝の瞬間、母は会場の2階席最上部で泣き崩れた!
出典:サンケイスポーツ
貴景勝と髙安、共に相星の2敗で迎えた千秋楽。
貴景勝は錦木と、髙安は御嶽海との対戦が組まれていました。
先に対戦のあった貴景勝が錦木を下し、結びの一番の髙安の結果を待つことになりました。
髙安は熱戦の末、御嶽海に敗れ、仕度部屋にいた貴景勝の優勝が決定しました。
その時、父は会場内の桝席に座り勝負の行く末を見ていましたが、母は桝席には座らずに2階席最上部の自由席にいました。
母の純子さんは普段から本場所の応援に行く時は、
「朝から並んで(自由席のチケットを)買っています。私はウロチョロしたい方なので。やはり相撲のときは見ていられなくなる。それに見ていない方が勝つことが多いんです」(夕刊フジ)
と、話しました。
優勝が決定した瞬間は、その2階席の最上部で泣き崩れたといいます。
子供の頃から努力を続けていた息子のさまざまな姿が、お母さんの頭の中をめぐったことでしょうね。
優勝セレモニー後の仕度部屋で賜杯を抱いて万歳三唱をするときの記念撮影には、「主人がいるので、私は結構です」と写真に入らずに、親族のみの撮影のときにだけ写真に加わるという、とても控えめな奥ゆかしい女性でした。
22才の貴景勝は、これからますます相撲界を背負っていく責任のある立場になっていくと思います。
これから先のどんな困難にも、このように陰で温かく見守ってくれている母がいてくれれば、乗り越えて行けるのではないかと思わせてくれました。
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