初土俵から所要4場所というスピード出世で十両に昇進し、現在幕内で活躍している新潟県出身の豊山。
相撲界の若手ホープとして注目を集めています!
豊山を育てたご両親はどんな方なのでしょうか?
豊山のプロフィールや子供時代からのエピソードなども、ご紹介していきたいと思います!
豊山のプロフィールをご紹介!新潟県出身では12年ぶりの関取誕生!
出典:日刊スポーツ
豊山は東京農大から三段目格付け出しで初土俵を踏んで、負け越し無しの所要4場所での十両昇進!
新潟県出身としては、12年ぶりの新十両力士の誕生でした!
入門から本名の「小柳」で相撲を取っていましたが、新入幕の時に時津風部屋伝統の「豊山」の四股名が命名されました。
まずは簡単なプロフィールをご紹介します!
【プロフィール】
- 四股名:豊山 亮太(ゆたかやま・りょうた)
- 本 名:小柳 亮太(おやなぎ・りょうた)
- 出身地:新潟県新潟市北区
- 生年月日:平成5年9月22日(24才)
- 身 長:185㎝
- 体 重:181㎏
- 出身校:金沢学院東高ー東京農大
- 所属部屋:時津風部屋
(平成30年8月現在)
豊山の両親(父親・母親)はどんな人?兄弟は?
豊山のご両親は現在、新潟県新潟市にお住まいです。
お父さんは、小柳 敬(おやなぎ・たかし)さん、49才です。
造園業をされているということですが、一般職か、もしくは職人さんをされているのでしょうか。
お人柄は寡黙で、あまり表立ってしゃべらない方というイメージで、どちらかと言うとマスコミへの対応などもお母さんが表に出て、お父さんは後ろで見守っているという、日本男児のタイプの方の気がします。
でも豊山が十両昇進を決めた時は、万歳をして大喜びで、目にうっすら涙を浮かべていた姿がとても印象的でした。
お母さんは、小柳 由紀子(おやなぎ・ゆきこ)さん、50才です。
豊山が子供の頃は、お母さんは英語教室を開いておられて、豊山も4才の時から中学3年まで通っていたそうですよ!
英語が堪能な方なのですね!現在も続けておられるのでしょうか?
とてもおおらかで明るい雰囲気の方ですね!
豊山が中学から高校に進学する時に、相撲を続けるかどうか迷っていたら、お母さんが「亮太の相撲を取っているところを見たいな」と伝え、豊山は相撲に進む道を選んだそうなのです。
大事なところでは、きっとお母さんが豊山の背中を押してくれていたのでしょうね!
豊山には3つ年下の弟さんが1人います。
小柳 慶太(おやなぎ・けいた)さん、21才です。
2年程前には専門学校生だったということでしたので、現在は卒業して何かお仕事についているのでしょうか。
豊山は弟が生まれ、お母さんがまだ幼い弟さんにかかりっきりになった時期には、お母さんが遊んでくれなくなったことが寂しくて、ずいぶん泣いて大変だったのだとか。
弟にお母さんを取られたみたいで悲しかったんでしょうね。
でも、男兄弟2人というのはずいぶん賑やかだったでしょう!
※(年齢はすべて平成30年8月現在)
豊山の子供時代から相撲界入門までのエピソードをご紹介!
豊山は小さい頃はどんな子供だったのでしょうか?
相撲とはどのように出会い、相撲界への道を歩んでいったのでしょうか?
好奇心旺盛な子供時代!脱走癖で何度も迷子に!
豊山は生まれた時は、4544gもあったビッグベビーでした!
とても人懐っこくて、いつもニコニコしていて誰からも可愛がられるような子だったそうです。
3才頃になるととてつもなく好奇心が旺盛になり、お母さんが少しでも目を離すと、すぐに家を出て行ってしまったり、外出先でも迷子になってしまうのはしょっ中だったとか!
豊山本人曰く、「脱走癖があったらしい…」と。笑
お母さんは片時も目を離せず、さぞかし大変だったでしょうね!
相撲を始めたのは小学1年の時で、体も大きく力も強かったので、わんぱく相撲への出場を勧められたことをきっかけに、地元の豊栄相撲教室に通い始めました。
初めの頃は、大会に出て優勝するとお菓子をもらえることが嬉しくて続けていたそうなのですが、小学5年の時にわんぱく相撲全国大会で3位に入るほどの力がありました!
この道場で最初に教えてもらったのが押し相撲で、今の豊山の押し相撲はこの時の教えが原点になっているそうですよ!
野球部に入った中学時代~高校進学で新潟の親元を離れる!
小学5年の時から相撲以外に、少年野球チームに入っていたこともあって、中学では野球部に入ることにしたんです。
豊山は「思春期だったので、体が太っているのがイヤな時期があつて、痩せて野球をやりたかった」
ことが野球部を選んだ理由のようです。
この写真を見ても別人のように細いですよね!
中学生くらいになると、異性の目も気になるお年頃ですし、まわしを締めてお尻を出すのが急にイヤになるという子もいるので、豊山もこの時期は複雑な男心だったのでしょうね。
そんなことで、中学時代は全然相撲道場などに通ったりもしていなかったのですが、新潟県の代表に選ばれて相撲の大会に駆り出されていたりはしたんです!
豊山の相撲の素質を、周囲はほおっておかなかったということなんでしょね。
そんな経緯もあって、高校は金沢学院東高校の相撲部からの誘いもあり、豊山は再び相撲の道を進むか否か、この時一番迷ったそうなのです。
「自分が人より上に立てるのは何か?と考えたら、やっぱり相撲かな」と思い、高校から金沢学院東高校に進み、再び相撲を続けることを決断したのです!
金沢学院東高校というのは、現在幕内で活躍している人気の遠藤も先輩にいる、相撲の強豪校なのです。
その決断から地元の新潟を離れ、高校時代は金沢で寮生活を送り相撲に打ち込む日々を送りました!
高校卒業後、東京農大相撲部から相撲界入門へ!
出典:東京農業大学校友会
高校卒業後は、東京農大へ進学しました。
東京農大相撲部では頭角を現し、メキメキと力をつけていきました。
2年の時には学生相撲選手権で準優勝、3年の時は世界選手権団体戦で世界一にも輝きました!
チームメイトには現在幕内で活躍している、御嶽海や北勝富士の姿もありますね。
順調に思えた相撲部での活躍でしたが、豊山本人は大学卒業後は教員や公務員になって新潟に戻ろうかと思っていた時期もあったそうです。
4年の時の全日本選手権でベスト8の成績を収め、これにより三段目100枚目格付け出しの資格を得て、相撲界入門への道が一気に開けたのです!
豊山本人は相撲界入りを決断した大きな理由は、三段目付け出しの資格を得たことよりも、その全日本選手権でベスト8で負けて終わってしまったことだったんです。
「このまま負けて相撲を終えるのは悔しいと思った。だから大相撲の世界で自分の実力を試してみたいと思った。負けず嫌いなんで!」と話していました。
もしこの大会で優勝していたら、相撲に対して完全燃焼の気持ちが湧き、もしかしたら相撲界へ進む道を選ばなかったかもしれないと思うと、人生は何が幸いするかわかりませんね!
入門から所要4場所で新十両昇進のスピード出世!初の敢闘賞受賞も!
出典:日刊スポーツ
相撲界へ進むことを決め、時津風部屋に入門し、平成28年3月場所で初土俵を踏み入門した場所でいきなり三段目優勝、翌5月も幕下優勝を決め、トントン拍子で番付を駆け上がって行きました!
平成30年9月を幕下東筆頭で迎え、勝ち越しさえすれば十両昇進がほぼ間違いなしとされる番付で、昇進を意識しての緊張からか、全く自分の相撲が取れず、なんと初日から3連敗!
幕下以下は7番しか相撲を取らないので、4勝すれば勝ち越しとなるのですが、この連敗ですでにもう一番も負けられない後が無い状況に追い込まれました。
豊山が、もうどうしたらいいかわからず我を失って迷っていた時に、お母さんの由紀子さんから一本のLINEが届きます。
「あなたの押し相撲を見るのが好き」
というメッセージでした!
豊山はこの母からのメッセージを見て、「あぁ…、相手に合わせて相撲を取ってしまっていた。自分は押し相撲だと思い出した」と、そこから一気に4連勝!
この場所で4勝3敗と勝ち越しを決め、見事入門から所要4場所で新十両昇進を決めたのでした!
この最後の勝ち越しを決めた日は9月22日、豊山の23才の誕生日でした!
「親が生んでくれた日に関取昇進を決められて嬉しかった!俺、持ってるな!」と笑っていました。
何よりの最高の親孝行ですね!
新十両の時は関取の象徴でもある大銀杏どころか、まだマゲも結えないザンバラ髪で、それがいかに出世が早かったかを物語っていました!
十両も3場所で通過しましたが、平成29年5月に新入幕の後は幕内の壁に跳ね返されて2度十両落ちの経験もしましたが、3度目の正直となる再々入幕から徐々に幕内の雰囲気にも慣れ、力を発揮できるようになっていきました。
平成30年7月では、14日目に初めて結びの一番で大関・髙安と対戦し強烈な押し相撲で勝利!
続く千秋楽では優勝を決めていた関脇の御嶽海と対戦し、素晴らしい相撲で勝利!この場所で12勝3敗の好成績を上げ、初めての三賞となる敢闘賞を受賞しました!
出典:デイリースポーツ
再び上位へ番付を上げて、これからの活躍がますます楽しみな将来の大関、横綱候補と言える期待のホープです!
これからの豊山の活躍を注目していきたいと思います!
↓朝乃山と豊山、次代を担う若手ホープ2人の高校時代からのライバルヒストリー!の詳しいお話しはこちら!
朝乃山と豊山、次代を担う若手ホープ2人の高校時代からのライバルヒストリー!
↓朝乃山の笑顔がかわいいと人気急上昇中!富山県出身では28年ぶりとなる幕内力士!の詳しいお話しはこちら!
朝乃山の笑顔がかわいいと人気急上昇中!富山県出身では28年ぶりとなる幕内力士!