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貴源治、双子の兄は貴ノ富士、母親がフィリピン人のハーフ力士!2人の見分け方は?

大相撲で活躍中の貴源治と貴ノ富士は双子の力士です。

史上19人組目の兄弟関取となりましたが、その中で双子というのは初の事例です!

弟の貴源治、兄の貴ノ富士、それぞれのご紹介と、貴源治の子供時代の相撲との出会いもお話ししたいと思います。

またそっくりなこの双子の見分け方もご紹介します!

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ツインズ力士、弟の貴源治のプロフィールをご紹介!


出典:サンケイ新聞

 

たたき上げ力士として将来性の高さで早くから注目を集めていた、双子の弟、貴源治(たかげんじ)は、相撲未経験での入門ながら、丸2年で兄の貴ノ富士と同時に幕下に昇進しました。

貴源治はその後、幕下で勝ち越せず三段目と幕下を往復することになりましたが、当時の師匠であった貴乃花親方から、まわしを引いた四つ相撲を取ることを封印され、突っ張り一本での相撲を取ることを厳命されました。

そうして三段目から幕下へ戻る頃には、貴源治の最大の武器は突っ張りとなり、抜群の運動神経と負けん気の強さで、双子の兄に先んじて、平成29年5月に19才で十両昇進を決めました!

その後、貴乃花親方の退職に伴い、貴乃花部屋は消滅したため、千賀ノ浦部屋に移籍することとなりました。

 

【プロフィール】

  • 四股名:貴源治 賢(たかげんじ・さとし)
  • 本 名:染谷 賢(そめや・さとし)
  • 生年月日:平成9年5月13日(21才)
  • 出身地:栃木県小山市
  • 身 長:191㎝
  • 体 重:168㎏
  • 所属部屋:千賀ノ浦部屋

(平成31年1月現在)

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ツインズ力士、兄の貴ノ富士のプロフィールをご紹介!


出典:毎日新聞社

 

弟と共に将来性が注目され、平成25年3月に初土俵。

歴史の長い相撲界においても、今まで何組もの双子力士はいましたが、2人はおろか、どちらか1人すら関取に上がることすら実現しないでいました。

それが弟の貴源治に続き、兄の貴ノ富士(当時・貴公俊)も十両昇進となり、史上初の双子の兄弟の同時関取が誕生となったのでした。

弟の貴源治に遅れること約1年、平成30年3月に新十両となったのですが、その昇進場所で当時の貴公俊は事件を起こしてしまうのです。

3月場所8日目、貴公俊が取組を終えた後、仕度部屋に戻ると自分についていた付け人の顔を数回殴り、怪我を負わせてしまったのです。

暴力を振るってしまった理由は、貴公俊が取組のために入場するタイミングを付け人が伝えるのが遅れたことに腹を立てたというものでした。

そのまま3月場所は師匠から謹慎を言い渡され休場、せっかくの新十両の場所を自らの過ちのせいで棒に振ってしまったのでした。

翌5月場所も出場停止の処分となり、再び幕下に陥落しましたが、陥落場所から5場所連続の勝ち越しを続け、新十両から丸1年、再び十両の土俵に帰って来ることになりました。

平成31年1月場所より、四股名を貴公俊から貴ノ富士に改名。

この四股名は、入門時の師匠の貴乃花が考えていたものであり、貴乃花部屋消滅後、千賀ノ浦部屋への移籍などが落ち着くのを待って、名を改めることになりました。

 

【プロフィール】

  • 四股名:貴ノ富士 三造(たかのふじ・さんぞう)
  • 本 名:染谷 剛(そめや・つよし)
  • 生年月日:平成9年5月13日(21才)
  • 出身地:栃木県小山市
  • 身 長:185㎝
  • 体 重:143㎏
  • 所属部屋:千賀ノ浦部屋

(平成31年1月現在)

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父は日本人、母はフィリピン人のハーフ力士!貴源治の子供時代~角界へ!双子の見分け方は?


出典:朝日新聞社

 

貴源治は父が日本人、母がフィリピン人の両親のもと、一卵性双生児の弟として栃木県小山市に生まれました。

その後は茨城県猿島郡で育ちましたが、大相撲界での出身地は父の出身地でもあり、自身の出生地でもある、栃木県小山市にすることになりました。

お父さんは染谷 勝利さん(57才)で、自営業でお仕事をされています。

お母さんはケゼィアさん(58才)で会社員としてお仕事をされているそうです。

前述の通り、貴源治には双子の兄・剛(21才)がいて、2人は共に力士の道へ進みました。

貴源治は小学2年~3年までサッカー、小学4年~5年まで空手など、色々なスポーツに親しんできた子供時代でした。

その後、小学6年~境第一中学3年まではバスケットボールに打ち込むことになり、茨城県選抜の主力選手として全国3位になったほどの腕前でした。

高校進学の際、さまざまなバスケットボールの強豪校からスカウトも来ましたが、父親に勧められて中学3年の時に、貴乃花部屋へ体験入門に行ったことをきっかけに、相撲は未経験ではありましたが、自分の大きな体格を生かせる相撲界の道へ進むことを決めたのでした。

入門を決断した理由は、「バスケットボールでは金にならない、体を使うことが好きだったので、早く親孝行したかったから」

と、貴源治は話しています。

そうして平成25年3月に貴乃花部屋に入門し、初土俵を踏むことになりました。

平成27年3月には、初土俵から2年の早さで兄と同時に幕下に昇進しました。

しかし貴源治は幕下では勝ち越せないことが1年ほど続き、三段目と幕下を往復することになったスランプの時期がありました。

それまで自分がこだわっていた四つ相撲から、貴乃花親方に厳命された突っ張りの相撲に集中するようになり、成績が安定し始め、それと共に番付も上昇し、平成29年5月に19才で新十両を決めたのでした。

平成30年10月には所属していた貴乃花部屋の閉鎖により、兄と共に千賀ノ浦部屋に移籍しました。

早くから将来の横綱、大関候補として注目を集めていましたが、十両の土俵で少し足踏みが続いています。

しかし、体格の良さ、負けん気の強さ、稽古熱心なところからも、注目株であることに変わりはありません。

力を徐々に蓄え、早く幕内上位に上がり、その気風の良い相撲を見せてもらいたいと思います!

それにしても、このツインズは一卵性というだけあって、本当にそっくりですね!

2人の見分け方は、鼻の下にホクロがある方が兄の貴ノ富士で、体格は現在はひと回り程、弟の貴源治が大きいくらいでしょうか?

本当にそのくらいほとんど見分けがつかないほどそっくりで、2人揃って、幕内上位に上がってきたら、注目されること間違い無しだと思います!

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