モンゴルから来日し、相撲界で活躍している力士は数多くいますが、子供の頃に来日し、日本に来てから相撲を始めたという変わり種の大翔鵬(だいしょうほう)!
そのため日本語はお手の物で、話しているところを聞いていても、言われなければモンゴル人だとわからないほど、日本語が上手です。
日本にやってきた少年は、どのように相撲と出会い、力士になる道を選んだのでしょか?
大相撲・大翔鵬のプロフィールをご紹介!
平成25年3月に初土俵を踏むと、入門から6場所目にはすでに幕下に昇進。
しかし、幕下上位の壁がなかなか破れず、約3年近く幕下での生活が続きました。
平成28年11月に新十両に昇進するも一場所で幕下に陥落し、再び1年間幕下上位での足踏みが続きました。
平成30年1月に再十両を遂げると、7場所連続の勝ち越しで、時間はかかりましたが、ようやく新入幕入りが確実となりました。
大勝ちは無いのですが、コツコツと地力を蓄えながら強くなっていく力士だと思います。
【プロフィール】
- 四股名:大翔鵬 清洋(だいしょうほう・きよひろ)
- 本 名:チミデレゲゼン・シジルバヤル
- 生年月日:平成6年8月28日(24才)
- 出身地:モンゴル・ウランバートル
- 身 長:183㎝
- 体 重:174㎏
- 出身校:千葉県立流山南高校
- 所属部屋:追手風部屋
9才で来日した日本語ペラペラのモンゴル力士!相撲との出会いは?
大翔鵬のシジルバヤル少年は、生まれてからの幼少期はモンゴルのウランバートルで育ちました。
お父さんはチミデレゲゼンさん(46才)、お母さんはバーサンフーさん(43才)です。
大翔鵬は2人兄弟で妹が1人います。
妹はセンブーさん(4才)です。
シジルバヤル少年は幼少期は体もそれほど大きくなく、よく女の子に間違えられていたそうです。
確かに写真を見ても、女の子みたいに可愛らしいですね。笑
小学4年まではモンゴルで勉強に打ち込んでいましたが、ちょうどその頃、母親が日本への留学を志し、既に単身日本に渡っていたこともあって、シジルバヤル少年は9才の時に、父親と一緒に日本に引っ越すことになり、千葉県立柏第二小学校に転校したのでした。
お母さんの留学がきっかけで、家族揃って日本に来ることになったというのは、かなり珍しいパターンですね。
シジルバヤル少年が相撲と初めて出会ったのは、小学4年の時に学校対抗戦として開かれた、柏市の相撲大会に駆り出されたことでした!
その大会で柏市の相撲スポーツ少年団からスカウトをされ、小学5年から本格的に相撲を始めることになりました。
相撲以外にも、小学5年から豊四季中学2年までは野球もやっていたスポーツ少年でした。
小学生の頃は体が大きくなかったため、あまり相撲で勝てることが無かったのですが、中学生になってだんだんと体が大きくなったことで、勝てることが増えてきて、相撲が面白くなっていきました。
中学3年の時には、関東大会で優勝、全国都道府県選手権の団体でも3位入賞を果たしました。
中学卒業後は、相撲の強豪校として名高い、千葉県立流山南高校に進学し、より本格的に相撲に打ち込むようになりました。
幕内力士として活躍中の阿炎は、高校時代の同級生です。
3年の時には高校総体で16強、国体少年の部団体で2位、個人では8強の成績を収めました。
高校卒業後の進路を考えた時に、高校2年の時に明治大学に行き稽古をした時に、大学生を相手に力が上回る実力を発揮したことから、高校卒業後大学に入り4年間を過ごすより、すぐに大相撲の世界に行きたいという気持ちが強くなり、以前から声をかけてくれていた追手風親方の元、追手風部屋へ入門することを決心したのでした。
幕下時代の内、約2年半は横綱・鶴竜の付け人を務めていた経験もあり、常に間近にいたことで、鶴竜の相撲に対する真摯な姿勢を学んだり、鶴竜の立ち合いの稽古の際には胸を貸したりして、直接肌で強さを感じていきました。
新十両に昇進した時には、鶴竜から明け荷をプレゼントされ、今もとても大切に使っているそうです。
幕下上位でもあと1つの白星を上げられず、なかなか十両に昇進することが出来ませんでした。
再十両昇進後は、大勝ちは無いものの7場所連続勝ち越してジワジワと番付を上げ、ようやく幕内入りの切符をつかむことが出来ました!
大翔鵬は派手さはありませんが、コツコツと地力を蓄えて強くなっていくタイプの力士だと思います。
立ち合いの当たりが甘いと腰高になり、得意の右四つの相撲に持ち込むことが出来ないので、本人も今後、更なる立ち合いの強化がテーマになっているようです。
目標は横綱の鶴竜。まずは幕内定着を目指して、頑張っていってもらいたいと思います!