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貴景勝の父の超スパルタ英才教育とは?小学生の時の食事は年20㎏増量指令!

貴景勝が悲願の初優勝を果たしたその成功の陰には、幼い頃から二人三脚で歩んできた父・一哉さんの存在がありました。

息子の非凡な才能を見抜き、信じて磨き続けた父には、どのような信念があったのでしょうか?

貴景勝父子が共に歩んだ、少年期の壮絶な戦いをまとめてみました!

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極真空手をやっていた父子が、小学3年から相撲の道へ!

父・一哉さんは極真空手の指導者でしたので、貴信少年(貴景勝)も極真空手の道場に5才から週に3回程通って稽古していました。

貴信少年は敵なしの強さを誇っていましたが、小学3年の時に出場した空手の大会で、完全に優勢だった試合を判定負けにされたことをきっかけに、判定の無いスポーツをやろうと相撲の道に進むことを決めたのでした!

 

小学3年の時から年20㎏の体重増量指令!

 

小学3年で相撲を始めると、父はトレーニングや食生活に関しても、徹底的に指導を始めました。

まずは、激変したのは食生活。小学3年で体重30㎏だった貴信少年に父から課された増量計画は、1年ごとに20㎏ずつ太るように!という壮絶なものでした。

毎日、牛乳2ℓが日課、もともと食が細いのでスナック菓子と炭酸飲料は禁止。

稽古後30分以内に食事を始めると決めていたので、稽古のある日は、稽古場近くの飲食店で、1個450gのハンバーグ定食を3人前食べさせられたり、またある時は、吉野家の牛丼特盛を3杯ということもあったそうです。

完食がノルマで、すべて食べ終わるまで3~4時間かかることもあったといいます。

ただ父はいつも食べ終わるまで何時間でも一緒に待っていてくれたのだそうです。

貴景勝は当時のことを思い返すと、

「牛丼をかき込むための生卵の大切さをわかった。びっくりドンキー(ハンバーグ店)の看板は見られなかった。食べているときに味わったことなんて無かった」と話していました。笑

自宅ではタンパク質、主に肉食を中心とした、母・純子さんの手料理を食べていたそうですが、中学生の頃には夕食だけでも肉1㎏も食べていたそうです。

スーパーで大量の肉を買い込んでいた時、店員さんに、

「ご家族が多いんですね!」と言われ、

「家は息子一人です」と答えると、

「ライオンの子供でも飼っているの?」

と、言われたこともあったのだとか。笑

体重に関しては、毎日風呂上りに父からの体重チェックがあり、増えていないと怒られるので、こっそりパジャマのポケットの中に、1㎏のダンベルを忍ばせたりしたこともあったそうですが、逆に体重が増えすぎてておかしいと父にばれて、結局怒られたそうです。笑

こんな涙ぐましい食のトレーニングを積みながら、小学6年の時には体重は90㎏に到達しました!

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「巨人の星」ばりの父の超スパルタ英才教育とは?

 

食事で体を作りながら、相撲の稽古やトレーニングも壮絶なメニューをこなしていきました。

相撲クラブに週4回通いながら、クラブが休みの日には、父が決めたトレーニングメニューを毎日欠かさず続けていったのです。

四股500回、腕立て伏せ200回、腹筋200回、自宅でも父を相手にぶつかり稽古、また、階段を四つん這いになって速いスピードで何往復もしたりもしていたそうです。

また、近所で坂道ダッシュなどもしていたそうで、芦屋の高級住宅街ではあまりみかけないであろう光景に、

「近所の人たちは、この親子、頭おかしいんじゃないか?と思われていたと思う」

と、笑っていました。

父は息子とのトレーニングについて、

「貴信は負けん気が強くて、努力家。教え甲斐、鍛え甲斐があった。乾いたスポンジが水を吸うように、教えたことはどんどん吸収していった。だからこっちもますます真剣になっていって、それに応える。そうするとまたそれに応えるから、新たなノルマを課すとまた応える…といった繰り返しで、本当に人の10倍はやっていたと思うかなりきつかったと思うけど、よくついて来たと思う」

と、話していました。

貴景勝は当時を振り返り、

「(父は)怖かった。何か言われて『いいえ』は選択肢に無かった。とにかく相撲が好きというよりは、やれ!ということをやるという感じだった」

と言います。

そんな超スパルタの稽古やトレーニングを支えたものは、やはり「強くなりたい」という相撲への思いが心の根底にあったことはもちろんですが、父の厳しい指導は深い愛情があったからこそということを、貴景勝がちゃんとわかっていたからだと思うのです。

片道2時間半の道のりを運転して出稽古に送迎してくれたり、やはりどんな時も自分といつも真剣に向き合ってくれていたこと、貴景勝がただ厳しさに耐えていたわけでは無い、大きな親の愛情の上に成り立っていたからこそではないかと思えるのです。

「両親の支え無しにはここまで来れなかったと思う」

と、貴景勝は両親への感謝の気持ちを口にしていました。

優勝をかけた場所では、緊張感の続く毎日に、途中で何度も弱い自分が出てきて心が折れそうになったのですが、そんな時には、小さい頃、父と共に頑張った日々を思い出しながら、強くなりたいと一心に努力していた頃のことを思い出すことで、「勝っても負けても、全力が出せればいいや!」と気持ちが吹っ切れたそうです。

まだ22才の貴景勝、父と共に歩んだ時間を礎に、これからさらに番付上位を目指して駆け上がって行ってくれることと思います!

 

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