大相撲の力士は入門時に相撲部屋に所属して、相撲を取ることになっています。
力士は一度入った相撲部屋から別の部屋に移籍することはできるのでしょうか?
今回は力士の部屋移籍に関するお話しをしていきたいと思います!
力士が相撲部屋を移籍するのはどんな時?
出典:時事通信社
力士は原則として一度入った部屋を自己都合によって変更し移籍することは出来ません。
しかし、中には例外もあります。
例外は以下の2つの場合です。
- 師匠の停年退職・病気・死亡などの理由で、部屋を閉鎖することになった場合。
- 部屋付きをしていた親方が独立し、新しく部屋を興す場合。その親方を師匠としていた弟子(内弟子など)は、新しい部屋へ共に移籍できます。
プロ野球選手やサッカー選手などは、チームの移籍やトレードなどが、ごく一般的に行われていますが、相撲界では上記の様な理由以外での力士の移籍は無いということですね。
近年、力士が相撲部屋を移籍した例
出典:日刊スポーツ
平成30年10月1日付けで、貴乃花親方が相撲協会を退職したため、所属していた力士8名は、全員が千賀ノ浦部屋に移籍しました。
千賀ノ浦親方(元小結・隆三杉)は、元は貴乃花部屋の部屋付き親方でしたが、先代の千賀ノ浦親方(元関脇・舛田山)の停年により、部屋を引き継ぎました。
貴乃花親方の意向により、部屋の力士を千賀ノ浦部屋で引き取ってもらえるよう両親方で話し合いの結果、千賀ノ浦親方の了解をし、協会からの承認を得ての移籍となりました。
移籍した力士には、三役の貴景勝や幕内の貴ノ岩、十両の貴源治も含まれていました。
突然の貴乃花親方の退職による移籍問題は、大きな話題となりましたね。
出典:日刊スポーツ
平成28年10月19日付けでは、春日山親方(元幕内・浜錦)が協会からの辞任勧告を受けたことで、力士は同じ伊勢ケ浜一門の追手風部屋に移籍しました。
この辞任勧告問題のことの発端は、先代春日山親方(元幕内・春日富士)が平成24年の理事選で理事になったことにより、職務に専念するという理由で、浜錦に部屋と名跡を譲ったことにあります。
先代は後に、不倫問題を報じられたことで協会を退職しましたが、退職後も名跡の証書を保持したままであったため、春日山親方が名跡の引き渡しを求めて裁判を起こしました。
しかし、春日山親方は裁判において名跡保有の対価として1億7160万円を先代に支払う様命じられましたが、これに応じることができず、協会から年寄名跡が無い状態で師匠の継続は認められないとして、辞任勧告を受けたわけです。
力士たちは追手風部屋に移籍後、部屋付きの中川親方(元幕内・旭里)が師匠代行として指導することとなり、平成29年1月26日には、中川親方が旧春日山部屋を継承することとなり、追手風部屋所属としていた元春日山部屋力士は、中川部屋所属となりました。
いずれにせよ、師匠側の不備による問題で、何回も所属部屋を変えられてしまった力士たちはとても気の毒でした。
出典:日刊スポーツ
平成24年2月22日付けでは、先代田子ノ浦親方(元幕内・久島海)が2月13日に急死したことに伴って、部屋の力士8人が同じ出羽一門の出羽海部屋に5人と春日野部屋3人に分かれて移籍することとなりました。
田子ノ浦部屋所属だった幕内の碧山は、春日野部屋に移籍しました。
消滅する部屋の力士が、複数の部屋に分かれて移籍するのは、戦後初めての出来事でした。
このような師匠との急な別れは、力士にとっては辛いものだったでしょうね。
まとめ
大相撲界では他の多くのスポーツと違い、所属した部屋での師匠と弟子の結びつきを親子同然と考え、大事にしていきます。
ですから、個人的な理由での部屋の移籍ということは、相撲界ではルール的にも無いことなのです。
しかし、上記のような理由で部屋を移籍しなくてはならなくなる場合も稀にありますが、どのような事態においても、力士が集中して相撲が取り続けられるように配慮がなされて欲しいと思います。